関ヶ原ウォーランド

松平忠吉

1580年9月10日、徳川家康の 四男『』として遠江浜松城にて誕生。

翌年、1歳で三河東条城(1万石)の領主となる。『忠康』と改名。

1582年、駿河沼津城(4万石)城主となる。

1590年、武蔵忍城(10万石)城主となる。

1600年9月、関ヶ原の合戦に井伊直政らと、

東軍(松平忠吉隊:戦力3000)として参加。

先鋒、福島正則軍を抜け出て、決戦の口火を切った。

島津義弘軍を最後まで追撃したが、島津鉄砲隊の銃弾を受ける。

その戦功を買われ、戦後、尾張清洲57万石領主となる。

1604年より、病にかかり湯治等を試みるも、回復せず、

1607年3月5日病死。享年28歳。

 

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