関ヶ原ウォーランド

徳川家康

1542年、松平広忠の長男『竹千代』として三河岡崎城にて誕生。

6歳から、今川氏の人質として十数年を過ごし、

1560年、桶狭間の戦いで、今川義元が敗戦すると、岡崎に戻って自立した。

織田氏と同盟後、『松平』から『徳川』に改姓。

三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗するも、信玄の急死により、

信濃、甲斐の国をも凌駕。

1582年までには、東海一の大名にのし上がった。

1590年の小田原平定後、豊臣五大老の筆頭となり、

豊臣氏が北条氏を破ったことによって空いた関東の地に移され、

江戸城(250万石)を本拠地とする最有力の大名となる。

1600年9月、関ヶ原の合戦に東軍総大将(徳川家康隊:戦力30000)として参加し、

西軍(毛利軍)を破り、石田三成を京都まで追い詰めて葬った。

1603年、征夷大将軍を命じられ、江戸幕府を開いた。

1605年に、息子『秀忠』に将軍職を譲り、

実質的には、政権を握りながら、大御所となる。

1615年、大阪夏の陣で、豊臣家を滅亡させて、天下統一。

1616年に病死した。享年75歳。

 

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