関ヶ原ウォーランド |
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石田三成 |
1560年、石田正継(浅井久政の家臣)の次男『佐吉』として
近江国坂田郡石田にて誕生。後に『経言』と改名。
1574年、豊臣秀吉に見出され、以降、秀吉の家臣となる。
戦下手で有名であったが、秀吉に
『才器でわれに異ならないものは三成のみ』
と言わせるほど気に入られていた。
1583年、近江水口城(4万石)の城主となる。
その後、数々の活躍が見入られ、豊臣五奉行に昇格。
1595年、近江佐和山城(19.4万石)城主となる。
1600年9月、関ヶ原の合戦に西軍(石田三成隊:戦力6000)として参加。
西軍の実質的な総大将。
小早川秀秋、脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らの寝返りによって、
西軍は壊滅状態になり、敗戦。
1600年10月1日、京都六条河原にて、斬首刑。享年41歳。