関ヶ原ウォーランド

本多忠勝

1548年、本多忠政の息子『鍋之助』として

三河にて誕生。後に『忠勝』と改名。

1572年、徳川家康に使える。徳川四天王の一人。

蜻蛉切(槍)の使い手。

その後、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、

小牧・長久手の戦いなど、数々の合戦において、徳川側について参戦した。

1590年、家康が関東に移される際に、上総大多喜城主(10万石)になる。

1600年9月、関ヶ原の合戦に、井伊直政らと

東軍(徳川家康隊:戦力30000)先鋒として参加。

島津義弘軍と対戦し、西軍に勝利。

1601年、伊勢桑名城主(10万石)となる。

1610年10月18日死去。享年63歳。

 

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