関ヶ原ウォーランド

宇喜多秀家

1573年、宇喜多直家の晩生の嫡子『八郎』として誕生。

1581年、父・直家の病死により、家督を相続した。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)に気に入られ、養子扱いとなり、『秀家』と改名。

秀吉の天下統一後は、備前、美作、

播磨西部、備中東部の57.4万石を領有する有力大名となる。

豊臣五大老の一人。

1600年9月、関ヶ原の合戦に西軍副将(宇喜多秀家隊:戦力17000)として、

西軍諸隊の中央、南天満山に陣し、

前隊に明石全登、川尻直次、加須屋直雄らを配し、

総勢17000人(西軍一の勢力)、

一方、東軍の福島正則隊6000の兵力をもってこれに対した。

午前8時、福島隊は銃手800をもって戦闘を開始したが、

明石隊は充分これに備えていたので、午前中は度々、

東軍が押され、不利な状況であったが、午後、

松尾山に布陣していた小早川秀秋らの寝返りにより 敗退した。

島津義弘を頼って薩摩藩に逃げるが、1603年に、幕府に出頭。

同年、死罪を逃れて、駿河久能に幽閉される。

1606年、八丈島に流刑に処される。

ちなみに、八丈島への島流し第一号が、この秀家であった。

(以後、1898名が八丈島に島流しになった)

1655年11月20日八丈島にて病死。享年83歳。

このウォーランドの宇喜多秀家は、

心なしか、桃太郎に見えるのだが・・・岡山だから??w

 

Back

inserted by FC2 system