関ヶ原ウォーランド |
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吉川廣家 |
1561年11月1日、吉川元春(毛利元就の息子)の三男『才寿丸』として
安芸山県郡日野山城にて誕生。後に『経言』と改名。
1587年、兄・元長の死により、日野山城主となる。廣家(広家)と改名。
1591年、出雲富田城主(14.2万石)になる。
1600年9月、関ヶ原の合戦に西軍(吉川廣家隊:戦力3000)として参加。
この合戦の毛利軍の実質的な采配者。
毛利秀元軍の前に布陣して、毛利軍の徳川家康軍への進攻を防いだ。
東軍(徳川軍)に内通し、東軍の黒田長政を通じて、
徳川家康に「毛利家不戦」を申し入れ、その見返りとして、
毛利側の所領安堵を願い出て、
巨大な毛利軍を動かさないことに成功し、西軍に勝利。
「所領安堵の約束」により、長州・周防の29万石を得るが、
毛利氏にそれを譲り、1602年、周防岩国(3万石)初代藩主となる。
1625年9月21日死去。享年65歳。