関ヶ原ウォーランド

浅野幸長

1576年、浅野長政の長男『長満』として誕生。

後に『長慶』と改名。豊臣五奉行の一人。

豊臣秀吉に目をかけられ、1593年11月、17歳で甲斐17万石を与えられる。

1600年6月、徳川家康に従い、会津征伐に赴き、

上杉景勝軍を破る。

1600年9月、関ヶ原の合戦に東軍(浅野幸長隊:戦力6500)として参加。

岐阜城攻略後は、南宮山に参陣し、

長束正家隊と小競り合いを演じた程度であったが、

合戦後、紀伊和歌山37.6万石を与えられる。

1613年8月25日和歌山にて死去。享年37歳。

 

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