関ヶ原ウォーランド
生年不祥、 『新三郎』として誕生。
1585年まで近江大溝城主丹羽長重に仕え、越前府中城にいた。
その後、近江水口城(11万石)城主となる。豊臣五奉行の一人。
1600年9月、関ヶ原の合戦に西軍(長束正家隊:戦力1500)として参加。
西軍側として安濃津城を攻撃するが、
南宮山にて、東軍に内通していた吉川廣家軍 の攻撃に遭い敗戦。
1600年10月3日近江桜井谷で自刃。