本山鉱員社宅
Honzan Dormitory 1

 

Photography

Sash Window
 
本山社宅というと通常、鷹ノ巣地区にあった社宅のことを指すが、

本山鉱員の社宅は、本山製錬所の近くにも存在した。

 

Exterior
 
18世紀以降は、足尾銅山の主流が本山に集中し、

以降、鉱山関係の重要な建物が本山に集中して建てられた。

いわば、足尾の都心に相当するのだ。

 

Furniture Tone Television
 
1907年(明治40年)に足尾暴動が起こるまでは、まさに本山が都心であり、

この当時は、鉱山従事者全体の6割もの人口が集中していた。

 

The Broken Dilapidated House
 
当時の本山の世帯数は、1700戸あまり、人口は12500人あまりであった。

現地を訪れたことのある人なら驚く数値だろう。

 

Top   Back   Next

inserted by FC2 system