関ヶ原ウォーランド |
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島左近勝猛 |
1540年?誕生。対馬出身?。生年・生誕地共に謎の武将。
最初は、大和郡山城主、筒井順慶に仕えていた。
1600年9月、関ヶ原の合戦に西軍(島左近隊:戦力500)として参加。
決戦前日、杭瀬川の戦いのおいて、中村一栄隊を一掃し、
救援にきた有馬豊民隊も撃沈。これにより、西軍の士気が一気に上がった。
西軍の石田三成軍の先鋒として、正面から東軍に立ち向かい、
正面の東軍(黒田長政、細川忠興、藤堂高虎、田中吉政、京極高知らの軍)は、
相当数の犠牲者を出した。
正面突破が無理と悟った東軍・黒田長政の軍は、
島左近勝猛軍の側面に廻り、鉄砲隊で応戦。
この鉄砲の銃弾が左近勝猛に当たり負傷した。
1632年四日市にて死去(俗説であり確かではない)。