関ヶ原ウォーランド
生年不祥、平塚入道無心の息子として誕生。
薙刀の名手。
1600年、美濃垂井城(1.2万石)城主になる。
1600年9月、関ヶ原の合戦に西軍(大谷吉継隊:戦力5600)として参加。
病気(ライ病)で盲目の吉継に代わり、
大谷隊を指揮するが、小早川秀秋の寝返りにより、
小早川隊、小川隊などに側面を突かれて、壊滅状態に。
合戦中に藤川台にて小川祐忠の家臣・小川甚助の隊に属する
樫井太兵衛に首を討たれ戦死。