ホテル小曲園

Komagarien Hotel


5F:『客室301〜312号室』『卓球場』など

301号室

『富士見』(16畳)。

301号室は、廊下側にも格子窓が付いている。 302号室

『敷島』(16畳)。

誰でしょう?こんなところにビーチチェアを置いたのは(笑)。 3ヶ月前に来た時には、そんなものなかtったのに! 良く見ると、ビーチチェアではなく建具だ。しかも、床が抜けて階下が見えている。
303号室

『白樺』(6畳)。

6畳の部屋に物が散乱している。天井からの崩落物だろうか? 天井を見ると、今にも崩壊しそうであった。次の冬を越せるだろうか?
303号室の隣には、従業員用の作業スペースがある。 廊下のようなスペースに旅館として必要なものがたくさんしまってある。 このスペースは、小曲園の中では最も自然崩壊が激しい。
洗濯機、食器棚、小さな洗面台などがある。 4Fの調理室・配膳室と中5Fの大広間を結ぶ大空間。 たくさんの食器が並んでいる棚だが・・・この真裏はトイレである。
5Fの従業員作業スペースから4Fの配膳室を望む。 大広間までの通路には、たくさんの座布団が積まれていた。 すずちゃんが撮った時には霊がいた場所。この写真からは霊気を感じない。
305号室

『夕凪』(10畳)。

廃墟になった後、誰かがここで寝泊まりをしていたようだ。 大きな部屋の割りに凄く狭い風呂。畳1畳の幅もない浴槽。これも潰れた原因だろう。
306号室『芙蓉』(10畳)。ここは入口が2箇所ある。 室内は床が陥没していて危険である。 部屋に備えつきの小さな風呂への入口。太った人は入れない。
306号室の天井は崩落しており、雨漏りの為、床も腐っていて危険だ。 ここは旧307号室の入口。階段脇にある。改装後は倉庫になっていたようだ。 307号室『千鳥』(19畳)。和室と洋室が混合しており、非常に広い。
かつては308号室であったが、新たに『静湖』ができて旧307と合体させ、307号室にした。 そして旧307号室の玄関は、306号室に繋がり、倉庫になった。 309号室『山鳥』。何故だか写真が青くなってしまった。
ここも大きく崩落している。この真下は308号室(静湖)である。 ここの風呂も異常に狭かった。レンガ風のタイル仕様だ。 307号室(千鳥)の脇には下に降りる階段があった。
降りたその先にも部屋があった。ここも増築したのだろうか。 その部屋の名は、『静湖』。新しい308号室である。 5Fの廊下。さりげなく和風の雰囲気を醸し出している。
反対側から撮影。奥には、6Fに上がる階段が見える。 その階段に近づくとこんなカンジ。 右奥には、何故か旧307号室への入口が!現在は306号室に繋がっている。
この階だけが、和風にこだわった造りになっている。 この辺も和風な造り。天井がイマイチ雰囲気壊しているかも。 消火栓までが、和風の棚に仕舞われている。
と、誉めたそばから、真っ赤な消火栓。何とかしろ、この中途半端さ。 洗面所〜。鏡は割られているけど、あとは健在。 洗面所前の廊下。やはり全体的に和風を意識している。
廊下の端にも、和風を演出した名残がある。 こちらは、授業用の作業室。 この階段は、大広間に向かうものだが、この時は『この先には行きたくない』と思った。
左は大宴会場(大広間)、真っ直ぐは大宝石展望浴場と離れ。 ここから先は、外に向かうカンジなので、一応、引き戸が付いている。 大宝石展望浴場、離れに向かう廊下。
5F廊下から卓球場を覗いてみた。 物凄い崩落っぷりだ!毎年降る雪で押し潰されている。 同じ場所を昼間に撮影。
ご覧の通り、崩壊寸前の屋根。ここもいずれ通行不能になるであろう。 卓球場といいつつも、あるのは、自動販売機ばかり。 なるほど、三ツ矢サイダーだ。最近、サイダーやスプライトって見なくなったなぁ。
カップヌードルの自動販売機を発見!懐かしいけど、今でもあるよね。 落ちていた商品の賞味期限を見たら、昭和57年だってさ。 ゲーム機も発見!もう蔦が絡んで凄いことに・・・。
卓球場の先で、道が2つに別れている。左が大浴場、右が離れ。 大浴場への階段までは、一応、室内になっている。 311号室『桜富士』(14畳の離れ)。
この離れは、卓球場の脇にあるが、一度、外に出てから建物の中に入るようになっている。 離れの風呂も小さい。しかもこの窓は、廊下側にあるので覗かれそう。 312号室『紅葉』(18畳の離れ)。
この離れは、311号室の隣にあり、この離れに繋がる通路は外にある。 この離れには色々な遺構が残っていた。 ダイヤル式のTVだ。少なくとも20年以上前のものである。
こちらの離れの風呂は形が扇型だ。古い建物の風呂らしく、湯船が非常に小さい。 313号室『月見草』(16畳)。 この離れは、6Fに相当する部分に建てられている。
玄関のところには、館内放送用のスピーカーが設置されている。 314号室『しゃくなげ』(18畳)。 この離れは、7Fに相当する部分に建てられている。
今は、周囲の木が成長し、景色が見えにくくなったが、現役の頃はさぞかしいい景色だったろう。 離れの入口の木が成長してしまって、入室困難な状態だ。 離れに行く途中の廊下の電球。よくわからない構造だ。
313号室と314号室は、この階段で別れている。 大浴場への廊下から見た314号室。凄いところに建っている。    

中5Fと中4F:『大広間(大宴会場)』『旧客室411〜413号室』など

5Fから大広間のある中5Fに向かう階段。 大宴会場の看板が落ちていた。大広間というのが元の名前だ。 大広間に行く途中にはタイル貼りの部屋があった。トイレを改装した倉庫のようだ。
大広間脇にある控室の入口。 この部屋には宴会用のミキサー等があったようだ。 ジュースの冷蔵庫のような機械もある。宴会の準備室にもなっていた。
茶箪笥。ここで休憩をする従業員用のものだろう。 控室から見た大宴会場のステージ。しかし、ここから配膳するのは変だ! 中5Fの廊下脇にある楽屋。オーブが凄いが、この辺りの廊下から空気が一変するのだ!
そして、ここが恐怖の廊下。多少なりとも霊感のある人なら感じるだろう。 これが大宴会場のステージだ!ステージ前には無数の電線が絡み合っていた。 ここが大宴会場。120畳もの大きさを誇る。
テーブルが立っているのはサバゲをした跡だろう。 何故か、この大宴会場の前で具合が悪くなる人が多い。 寒気、頭痛、吐き気といった症状が多いようだ。
大宴会場から見える湖の風景もなかなかのものである、 大宴会場後方には、不思議な木の作り物が飾ってあった。 木に毛皮のようなものが付着しているので、恐らく鷹の剥製かなにかがあったのであろう。
下の作り物は意味不明。インプという妖怪のようにも見える。 大宴会場脇の窓は、土砂崩れにより、割れまくっていた。 大宴会所奥の斜面に設けられた倉庫と非常口。奥が非常口だが、非常階段は崩れ去っていた。
大宴会場奥にある階段。この下にもかつては客室があった。 階段途中にあったトイレ。しかし、自然崩落により侵入不能。 同じ場所を深夜に撮影したが、変な白い靄が現れた。
トイレの奥には非常階段があった。木製の為、既に崩壊済み。 トイレと非常階段はこのように繋がっていた。 そして、非常階段は、下のトンネルの山側に繋がっていた。
他の階段は金属製なのに、ここだけが何故か木製であった。 旧503号室『白山』(14畳)。改装後、413号室になった。 宴会場の下ということでうるさいからだろうか?従業員室になっていた。
床の間のある立派な部屋だが、泊まりたくない部屋だ。 ん?何か置いてあるぞ? かつての部屋のネームプレートが置いてあった。
旧503号室『白山』の一部であったが、バーの入口と化した。 旧502号室『宝来』(14畳)。改装後、412号室になった。 しかし、何故か台所のようなものがあった。従業員用の食堂だろうか?
大宴会場の真下だったので、客室としては不向き。これも潰れた原因。 この部屋にはユニットバスが付いていた。やや近代的だ。 その隣には旧503号室『楓』がある。改装後、411号室になった。
どう見ても客室ではない。従業員用の部屋になってしまったようだ。 床には、パーマをあてる機械が転がっていた。 411号室の奥には封鎖された階段があった。トマソンだ。
412号室天井にかかっていた『雲』という紙。意味不明。 この中4F廊下にあった旧式のステレオ。 中4Fの廊下は奥が封鎖されていた。崩壊したのだろうか?

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