Village in Tokyo

〜東京都の廃村・廃集落〜


廃村 倉沢
ここは、元々小さな集落があった場所ですが、1944年頃に、その集落の段々畑の所に、奥多摩工業(石灰鉱山)の社宅が建てられたのが『倉沢』の始まりです。最盛期には200人ほどが住んでいたようですが、日原社宅が完成して、徐々に移住して行ったため、1943年頃に廃村になりました。残念ながら、2005年11月に解体されてしまいました。
※解体されました。

廃村 
鎌倉末期〜室町初期に入植した集落で、炭焼きや林業で生計を立てていました。風呂の水を汲むのに、川まで何往復もしなければならないほど不便な集落でした。1956年に各家庭に電気が引かれ、この頃、14戸の家が建っていました。1972年に廃村になり、私が訪問した当時で、原型を留めているのは3軒のみになりました。
※自然崩壊しています。

廃村 水海山
八丈島にある廃村。真水が入手困難な場所なので、雨水をためるコンクリートの水槽が各家庭にありました。1945年から入植 が始まり、入植者によって、開墾されてきました。学校は隣の末吉集落まで通っていたそうです。入植してからわずか20年、1970年に部落が消滅し、廃村と化しました。 現在は、草むらの中にコンクリートの遺構がいくつも残っているのが見られます。
※自然に還ろうとしています。

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