Plant in Tochigi

〜栃木県の廃プラント・弾薬庫・火薬庫〜


細○第一発電所
1906年に建てられた赤レンガ造りの水力発電所。1936年に第一発電所と第二発電所が合併して、細○発電所になった為に、廃止になりました。発電用の水は華厳の滝から引っ張ってきていました。足尾銅山と日光電気精銅所に電気を送っていました。年々、崩壊しているようで、写真では一部の屋根がなくなっているだけですが、現在は、屋根の左半分は完全になくなっています。
※管理されています。

下荒針清掃工場
1977年に操業開始した清掃工場の巨大プラントです。1日に120トンのゴミ処理能力がありました。U市に残る清掃工場の中で、最も古いものでしたが、2000年10月に廃止になりました。2004年10月の地震により、煙突の外壁が崩落し、その後、煙突は解体されました。 残念ながら、2008年頃に解体されました。
※解体されました。

新梨子油力発電所
1915年に建てられた当時、日本で最大の油力発電所です。足尾銅山の非常用電力供給設備として建設され、1000kWの出力がありました。1933年に発電機2機を増設しました。建物の外壁には、かつて迷彩塗装が施され、今でもわずかにその面影が残ります。これは戦時中の空襲爆撃対策で塗られたものです。
※管理されています。

宇都○火薬庫
1909年に建築された火薬庫群。赤レンガ造りの火薬庫が1つと御影石造りの火薬庫が3つ、それに雷管倉庫がありました。小滝坑が廃坑になった1954年に閉鎖されました。この赤レンガ火薬庫は、内側が木造になっていました。また、人工的に掘った大きな窪みの中に建っており、築堤の下にトンネルがあり、そこから外の世界につながっています。
※管理されています。

通洞動力
1901年に建てられた通洞発電所がこの斜め下の川辺にあり、220kWの発電機で450Vの電力を起こし、通洞坑のコンプレッサ電力として利用されました。しかし、すぐに廃止になり、解体されました。日光発電所ができた際に、この通洞動力が出来ました。ここに変電設備が設けられ、足尾銅山の使用電力を管理する中枢機能を担っていました。
※管理されています。

本山動力
1890年に操業を開始した間藤発電所から送電された電力を、ここ『本山動力』で、変圧し、本山坑の関連施設全体の動力用と電灯用に分けられて使用されていました。その後、細尾発電所が完成し、特別高圧電線が本山動力まで敷かれると共に、施設も拡張され、1914年に大型のコンプレッサーが増設されました。
※管理されています。

廃セメントプラント
川治温泉の近くにあったセメント工場のプラントの廃墟です。石灰鉱石の選鉱所で、ホッパーやベルトコンベアなどが残っています。相当昔に廃業したようで、事務所に積もっている埃がハンパじゃありませんでした。
※管理されています。

間藤水力発電所 跡地
1890年12月に建設された日本初の大型水力発電所で、足尾銅山の電源を担うものでした。落水380mの水力を使って、トルビン式横水車を回転させ、400馬力の電力を発電し、坑内排水の揚水機、立坑ゲージの捲揚機、坑内電車、電灯などの電源として利用していました。残っている遺構は少ないのですが、1978年に町の史跡に指定され、現在は自由に見学することができます。
※自由に見学できます。

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