Mine in Tochigi

〜栃木県の鉱山遺跡〜


古河鉱業 足尾本山製錬所
足尾銅山最大の施設で、関東地方最大の産業遺跡ともいえます。1610年に足尾銅山が開鉱し、1973年に廃鉱になりました。その後も製錬業は引き継がれましたが、1989年に国鉄足尾線の貨物輸送が廃止になり、輸送困難に陥り、製錬所も休止、その後、廃墟化しました。
※管理されています。

古河鉱業 足尾銅山通洞坑
1610年に足尾銅山が開鉱し、1896年にこの通洞坑が開坑しました。1935年に大規模な選鉱所が新設され、足尾銅山の中心を担っていました。写真はその一部です。1980年から観光坑道『足尾銅山観光』がオープンして、坑道内が有料公開されました。選鉱所の建物は管理され、今でもトラックが頻繁に出入りしています。
※管理されています。一部稼動中。

古河鉱業 足尾銅山小滝坑
1610年に足尾銅山が開鉱し、1885年7月には小滝坑が開坑し、1893年11月には本山坑と貫通、次いで通洞坑とも立坑でつながり、小滝地区には選鉱所や製錬所も置かれましたが、1920年に選鉱所が廃止になりました。1954年に小滝坑が廃鉱になり、小滝にあった全ての機能が通洞に移転になりました。足尾銅山の歴史の中では、最も早くから開拓され、最も早くに集落が廃村化した地域です。
※管理されています。

村樫石灰 戸○鉱山
1967年に開鉱した石灰鉱山。道路用・コンクリート用の砕石が目的の鉱山です。この黄色いタンク群のインパクトが凄いですね。ナロー機関車が活躍していた鉱山でもあるので、トロッコ好きの人も結構訪れています。この鉱山を持っていた会社は今も現役で、この鉱山も一応、事業所として管理しています。
※管理されています。

K石灰 K工場旧プラント
1987年に、バイパス道路建設により、移転を余儀なくされ、旧プラントが廃墟化しました。一部はバイパス用地に消えましたが、一部が残っていました。移転といっても、ほぼ同じ敷地内といってもいいでしょう。移転先に新たに施設をつくり、増産体制になったため、親会社は今でも現役バリバリです。
※管理されています。

ト○ワ工業 大○作業所
この鉱山は、1950年代後半に開発されたドロマイト原石の鉱山です。その山の中腹に、巨大な工場のような廃墟がありました。工場内はガラーンとして何もないのですが、近くに変電施設や選鉱施設、ベルトコンベアの残骸などがあることから、ここが鉱山関連施設であることがわかります。
※管理されています。

清水石灰 野○工場
結構、古い石灰鉱山で、プラントもかなり朽ちてしまっています。事務所建物内に資料が残っているので、きちんと調べれば、この鉱山のことが詳しくわかったのでしょうが、このときは先を急いでいたので、プラント部分だけガンガン撮影して帰りました。
※管理されています。

松○石材
大谷石の採石場が廃墟化している箇所はたくさんありますが、ここは、廃業後に東大宇宙線研究所のミュートロン部が学術研究のために再利用した場所です。地下37mの坑道への竪坑の入口に、東大宇宙線研究所の看板があります。磁気単極子検出システムが3000m2の地下空間に3層になって眠っていたようです。
※管理されています。

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