足尾本山製錬所
Ashio Honzan Refinement Plant 19

 

Photography

Sub-product Factory
 
教科書などでも紹介されている足尾鉱毒事件は、

1890年8月(明治23年)の渡良瀬川大洪水に端を発する。

この時、栃木県・群馬県南部の広い地域で鉱毒汚染の被害があった。

 

The collapsed lower part of a Huge Plant
 

翌1891年、田中正造氏が、第二回帝国議会にて、

足尾銅山に対する操業停止要求を出すことで、この論争が始まる。

 

 

Looking up
 
1892〜1895年にかけて、古河鉱業と被害者である農民たちとの間で、

示談交渉が進むが、田中正造氏によって、その不当性が追及された。

 

Surveillance Hut
 
1896年(明治29年)夏の渡良瀬川大洪水では、

関東1府5県にまで鉱毒被害が広がった。

 

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