博士の家

Kobayashi Clinic


この屋敷は明治13年に建築され、120年の歴史がある。 8200平方メートルの敷地に母屋や蔵が建っていた。 こちらが母屋である。重厚な木造建築だ。
診療所として使っていたのかもしれない。 こちらが離れの建物。母屋は屋根などが改修されていた。 離れの中は崩壊が激しい。ここは再利用不能だったのか。
この家は旧小林邸といって、地元の豪農の屋敷である。 持ち主は町にこの建物を寄付して、現在は都内に開院しているらしい。 そう、ここは医者の家なので、博士の家と呼ばれていた。
寄付されたのは平成九年。町ではここを図書館にする予定だった。 屋敷を改修し、図書館の一部として利用する計画だった。 工事着工は平成14年度半ばを予定していたようだ。
13年の3月の時点では、設計図もできあがっていたという。 ここは土間である。農機具と医学書などが散乱している。 屋敷の周囲には、屋敷林や竹林が生い茂いいていた。、
敷地の東側と北側には、堀の跡も残っていた。 細い廊下の先にはトイレがあった。本当に狭い廊下だ。 立派な仏壇があった。本当に豪邸であったことが伺える。
こちらは神棚。神棚用の収納スペースまであった。 部屋の角に設置された神棚。 こちらには小さな仏壇が。仏壇や神棚が多い。
母屋の面積は180平方メートルくらいだ。 入口から母屋まではかなりの距離があるのだ。 2階に上がる階段は二箇所に設置されていた。
特に二階には医学書などが散乱していた。 山形なのに宇治茶とはいかに。 電話番号が、市外局番ではなく、小石川五○四六と言うのが凄い。
旧式のストーブだが、この当時にしては高価なものであったに違いない。 オリザニンやプロテンなど、バイオ系の薬品が棚に放置されていた。 医学書が並んでいる。中にはドイツ語で書かれたものもある。
凄い!ドイツ語の筆記体で書かれたカルテだ。これは重要文化財級。 先天性菌毒性紅天炎の説明。 世界美術大全集。昭和初期のものである。
こちらにも薬品がたくさんしまってあった。 これだけ荒らされているのに、裸電球が割れていない。 すご〜く、昔のブレーカー。
敷地の北側には洪水時に避難場所として使用した水塚跡もある。 ここには掘りごたつがあったようだ。 台所用品がたくさん放置されている。
暖を取る為の練炭がいっぱい置いてあった。 これまた古〜い形の自転車に薬包紙がかかってました。 床の間のある部屋。流石に豪農だ。かなり広い。
首と左足首をもがれたモンペ人形。 博士の家への入口。実に惜しい建物を亡くしたものだ。    

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※残念ながら、この物件は2002年3月に放火により焼失しました。


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