Yamatogawa
Hospital 1

 

Photography

View from Riverside

この『大和川病院』は、1963年に『安田病院』として開院した。

無論、1983年に開院した『安田病院』とは別物である。

1969年3月22日に、病院から逃げ出そうとした当時31才の男性患者が、

看護人3人に捕まり、バットで殴るなどの暴行を受け死亡した。

病院側はこの事実を隠し、患者の死因を「急性心不全」とし、

遺族に患者の遺体を見せなかった。

 

West Tower

この集団リンチ殺人事件をきっかけに、

その汚名を隠すべく、法人名と病院名を1969年12月に

『安田会 安田病院』から、『北錦会 大和川病院』に改名したのだ。

内部告発により、事件が明るみに出て、

事件に関わった看護人3人に実刑判決が下された。

その後に調べで、この病院の看護人の半数が、無資格者であり、

日常的に患者に対する暴行が行われていたことがわかった。

 

Main Entrance

1979年8月には、当時17〜19才の未成年の看護人3人が、

当時49才の男性患者に対して、

数時間にわたり暴行を加え、殺害した。

この看護人3人は、やはり無資格者であり、

病院の「患者を蔑ろにする」という姿勢は相変わらず変っていなかった。

 

South Tower

1980年1月には、入院中の当時27才の男性患者が、

頭部打撲で不審死した。

その後も、この病院の体制は、更に荒廃の一途をたどる事になる。

看護人が、力のある患者(職員の仕事もできる)6人を牢名主に仕立て、

コーヒーやお好み焼きなどのささやかな褒美を与える代わりに、

弱い患者達をシメさせていたのだ。

 

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