War Ruins in Oita

〜大分県の戦争遺跡〜


宇佐航空隊 エンジン調整室
1939年10月1日に開隊した『宇佐海軍航空隊』の『エンジン調整室』です。戦闘機などのエンジン調整をしていた施設で、今でもその遺構の一部が見られます。また、空襲時の弾痕の跡なども無数に残っています。戦後、建物の一部に住居を構え、人が住んでいましたが、遅くとも、2006年頃には廃屋化していました。
※管理されています。

宇佐航空隊 電信室
1939年10月1日に開隊した『宇佐海軍航空隊』の『電信室』です。かつては、この施設の上に受信用の鉄塔が建っていました。左右に6箇所の出入口が口を開けており、一部、崩落して埋まっている入口もありますが、現在も内部に入ることは可能です。ただし、コンクリートが剥離していたりして危険ですので、内部への侵入はお勧めできません。
※管理されています。

宇佐航空隊 無線受信室
1939年10月1日に開隊した『宇佐海軍航空隊』の『無線受信室』です。厚さ450mmの耐弾式コンクリート構造で、通気口のような天井穴がいくつも開いており、そこから内部の様子を伺うことができます。かつては、この上に受信塔が建っていました。現在は、通気口がフェンスで塞がれており、内部も水がたまったりしている為、内部に入ることはできません。
※管理されています。

宇佐航空隊 場落下傘整備所
1939年10月1日に開隊した『宇佐海軍航空隊』の『落下傘整備所』です。戦時中は、パラシュートなどの兵器を作っていました。レンガで作られた壁面には、無数の弾痕の跡があり、当時の空襲のすさまじさを伝えています。
※管理されています。

宇佐航空隊 城井掩体壕群
1939年10月1日に開隊した『宇佐海軍航空隊』の『掩体壕群』です。戦闘機を格納する防空壕のようなものです。城井地区に4基、畑田地区に5基の掩体壕が残っており、そのうちの1つ『城井1号掩体壕』(高さ5.4m、幅21.6m、奥行き14.5m)は、1995年3月28日に、史跡に指定され、1997年頃から、周辺用地が史跡公園化し、現在は、保存されています。
※管理されています。指定史跡。

宇佐航空隊 森山掩体壕
宇佐航空隊の掩体壕の多くは、城井地区周辺に位置していますが、この森山地区の掩体壕は、それらとは離れた場所に位置し、大きさも他の9基よりも格段に大きく、高さ9m、幅40m、奥行き23mもありました。この掩体壕には、一式陸上攻撃機を格納していました。現在は、民家の敷地内にあり、倉庫として転用されています。
※転用されています。

宇佐航空隊 海軍桟橋
1939年10月1日に開隊した『宇佐海軍航空隊』の『海軍桟橋』です。駅館川の河口付近にあり、航空隊のカッターと呼ばれる小船(軍艦と基地を行き来するためのボート)の発着場となっていました。
※管理されています。

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