Hotel in Oita

〜大分県の廃ホテル・廃旅館・廃民宿・廃山荘〜


ホテル 白雲山荘
1948年1月7日に開業し、1962年5月12日に本館で火災があり、2名が負傷し、1963年に9階建ての巨大な本館が建てられ、後に増築によりA館〜C館まで12階建てになりました。客室数は135室あり、料金は12000〜25000円でした。経営不振により、2001年9月1日に休業し、5日後に負債総額30億円で自己破産しました。観海寺温泉では二番目に大きなホテルでしたが、残念ながら、2004年に解体されて しまいました。
※解体されました。

ホテル 白雲山荘別館
1963年に開業した『白雲山荘』の別館で、本館の道路を挟んで向かい側にありました。本館とは地下通路でつながっており、この別館は、ステンドグラスをあしらった和洋折衷の建築様式で、1958年の全国植樹祭の際に昭和天皇が宿泊した部屋があるのも、この別館でした。 天皇が宿泊した部屋のトイレは漆の朱塗りの便器になっていました。残念ながら、2004年に解体されていまいました。
※解体されました。

ホテル 南○荘
4階建てのホテルで、客室数は31室ありました。源泉の温度は91.6℃と高温で、鉄○八湯という露天風呂が売りで、入湯料1200円で、「蒸し風呂」「砂風呂」「ミルク風呂」「酒風呂」「子宝風呂」「滝風呂」「ジャングル風呂」「混浴風呂」の8つの風呂を楽しむことが出来ました。残念ながら、2012年頃に解体されました。
※解体されました。

鶴見園グランドホテル
1926年2月14日に開業した「鶴見園」という少女歌劇(九州の宝塚と呼ばれていました)でしたが、火災などで焼失し、1943年に閉園しました。1969年4月11日から5階建てのホテル「鶴見園レジャーセンター(観光ホテル)」が開業しましたが、同年11月27日10:33頃、火災があり、死者2名(4F)、負傷者6名を出しました。1976年4月3日に閉館、同年12月26日に「つるみ温泉」として再開、1984年4月20日に閉館し、その4日後に「鶴見園グランドホテル」として再開しました。温泉の泉質は単純温泉で、別府八湯をアレンジした「鶴○極楽八湯」や、南国ムード漂う「トロピカル大浴場」(1000名収容)が売りで、1500名収容の多目的大ホールなどもありました。2001年に内装などが解体され、そのまま放置されていましたが、2009年に全て解体されました。
※解体されました。

ホテル ユー○ピア
志○ユー○ピアから少し丘を上がった場所にあるホテルです。1968年に客室数は25部屋、料金は6500〜10000円でした。大きなレストランと、大浴場もありました。かつては、志○観光リフトと別○国際観光ロープウェイがあり、このリゾート施設から、遊園地『ラク○ンチ』まで空の旅を楽しむことができました。
※管理されています。崩壊注意。

旅館 紅○屋
かつては鉱山集落であった尾平にあった小さな旅館です。斜め下には商店もありました。風呂は五衛門風呂で、情緒ある宿だったようです。1994年頃までは、経営していたようですが、現在は、もっと麓の方に新しく綺麗な旅館を建てて、移転して営業しており、この旧旅館は完全に廃墟化しています。内部は自然崩落が激しく、危険な状態になっています。
※管理されています。崩壊注意。

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