Mine in Niigata

〜新潟県の鉱山遺跡〜


三菱鉱業 持倉鉱山
1700年頃から採掘が始まった銅と蛍石の鉱山です。 硫化カドミウムや銀も産出していたようです。1908〜1915年が最盛期で、1963年1月に閉山になりました。写真は精錬所の建物であり、 鉱石のクズから作られたカラミ 煉瓦で建てられていました。以前は、徒歩で行ける道がありましたが、現在は川に削られてなくなっています。また、夏場は山蛭が大発生します。
※自然に還ろうとしています。

浦瀬山油井
広大な『東山油田』の一つ、『三洋石油浦瀬鉱業所』です。採油が行われていた頃は、山の上に1500本もの櫓が立っていました。写真は、ポンピングパワー施設です。1994年に廃鉱になりました。現在は、このプラントと、原油貯蔵タンク、事務所建物が残っています。
※管理されています。

桂山鉱山
広大な『東山油田』の一つで、通称『桂斜坑』と呼ばれています。1940年に日本初、世界で2番目の坑道堀りの油田として開鉱しました。その後、帝国石油→東山石油→三洋石油と鉱業権が譲渡されていきました。1997年に、桂斜坑場が閉鎖されたことにより、桂山鉱山は廃鉱になりました。現在は、史跡化しており、写真上部の巻き上げ機、斜坑、トロッコ、原油の貯蔵タンク、プレハブの事務所、地蔵、鉱夫の石像などが残っています。
※管理されています。

日曹金属鉱山 飯豊鉱山
正式名称は『日本曹達飯豊鉱業所』といい、日曹コンツェルンの配下にあった鉱山で、亜鉛、鉛をメインに、銅、鉄、硫黄、炭酸カルシウムなどの採掘を行っていました。現在は、写真の選鉱所跡と階段などの遺構がちらほらと林はや斜面の中に見られる程度になっています。
※管理されています。

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