Hospital in Nagasaki

〜長崎県の廃病院・廃診療所〜


端島炭鉱 端島病院
明治時代に開院した病院で、1957年4月1日の火災で木造だった病院が全焼してしまいした。その為、1958年10月31日に鉄筋RCの4階建ての本館と、2階建ての隔離病棟が建てられ、それが現在でも残っています。本館の4階には、看護婦の宿舎もありました。1974年に端島炭鉱が閉山になり、端島の無人化に伴い、廃院になりました。
※管理されています。

大島蛤診療所 隔離病棟
結核などの伝染病の隔離施設として建てられた病棟で、病室は18号室から22号室がありました。消毒室や防毒室といった部屋もありました。1968年に崎戸炭鉱が閉山になったことに伴って、廃止になりました。その後、病院本体は解体され、この隔離病棟のみが残って廃墟化していましたが、残念ながら、2005年に解体されてしまいました。
※解体されました。

大久保病院
1つの病院なのに2つの名前がある病院で、新しい方の建物が『大久保病院』で、古い方の建物が『小川医院』という名前でした。大久保病院の方には産婦人科がありました。地元の人たちの遊び場になっているようで、内部はかなり荒廃していました。残念ながら、解体されてしまいました。
※解体されました。

※画像をクリックすると調査レポートのページに飛びます。

※画像をクリックしてもページが飛ばない場合は、調査レポートを公開していない物件です。

その他の物件

Return

 

 

 

inserted by FC2 system