白石鉱山

Shiraishi Lime Mine


外観

三重県の山奥に関西一といわれる巨大な廃鉱山が存在した。 その名は『白石鉱山』。白い迷宮といわれるその遺跡は、今もなお、そこに在り続けている。 山肌に沿って、建物が林立している光景は、まさに圧巻だ。
夏草に埋もれつつある赤い屋根の木造建築群。 かつて、浅間山が大噴火をした時、この地方にも灰が降ったという。 その際に、灰が降った地域の農作物の収率があがったという。
このことから、石灰には肥料としての効果があると発見された。 この山の大量に存在する石灰質を焼き、土壌改良材にすることを思いついた者が会社を設立した。 白石工業は、明治42年に創立した。
大正から昭和の時代に、石灰の需要は高まった。 この山で作られた石灰肥料は、土壌を中和して、農地を改良した。 この石灰工業が、白石鉱山を発展させてきた。
しかし、資源が枯渇した為か、1969年に閉山。 30年以上もの間、廃墟として存在し続けている。 この工場は閉鎖したが、白石工業自体は今も別の地で存続している。
軽質炭酸カルシウム(タンカル)で有名なメーカーだ。        

石灰製造プラント

白石工業は、炭酸カルシウムの化学合成に成功し、業界のパイオニアとして君臨してきた。 炭酸カルシウムの需要は高く、ゴム、プラスチックをはじめ、 印刷インキ、製紙、塗料など、様々な化学工業で利用されている。
昭和2年、白石工業は、微細な膠質炭酸カルシウムを微粉化することに成功した。 その名を『白艶華』と称し、世界的に有名な商品となった。 ゴム、プラスチック製品などの補強充填剤として、その需要は高い。
製紙用顔料、白色塗料、印刷インキの体質顔料、シーラントの粘度調整剤としての需要もある。 また、加工食品のカルシウム強化剤としの需要もある。 とにかく、この分野は、あらゆる業界と密接な関係があるのだ。
パソコンの普及により、インクジェット紙の需要が高まっている今日であるが、 インクジェットプリンター紙に炭酸カルシウムの微粒子が使われている。 これにより、紙にインクが滲むのを防ぎ、美しいプリントができるようになった。
このように需要の高い炭酸カルシウムであるが、その製造工程を説明しよう。 まず、石灰岩の地層をダイナマイトで爆破して岩を切り崩す。 崩れてきた石灰岩を『クローラードリル』や『削岩機』で人間の頭ほどの大きさにする。
それをブルドーザーで掻き揚げ、『グリズリ』という滑り台の上に転がし、泥や小さな石を除去する。 この石灰石の塊をシャワー場に運び、水をかけて泥を洗い流す。 そして、『クラッシャー(1次粉砕機)』で粉砕し、10cm以下の大きさ程にする。
その塊をベルトコンベアーで運び、『ディスインテグレイター(2次粉砕機)』に投入する。 『ディスインテグレイター』により、11mm以下の大きさまで粉砕される。 こうしてできた砂上の石灰石は、原料砂として『サイロ』に蓄積される。
これがその『サイロ』である。山の上に一際目立って建っている。 『サイロ』から必要量の石灰石が、『原料ピット』に投入され、『原料砂タンク』に貯蔵される。 『原料砂タンク』から、石灰石が一定量ずつ『ミル(3次粉砕機)』に送られる。
『ミル』には色んな種類があるが、私が見た事があるのは、次の3種類だ。 まず、鉄球の入った『ボールミル』だ。亜鉛や鉛の産出で有名な岐阜のM鉱山で見た事がある。 実際に野球ボール大の鉄球がいくつも入っていて面白い構造をしていた。
鉄球の入ったドラムを回転させて、鉄球同士の衝突の衝撃で鉱石を粉砕する仕組みだ。 続いて『ローラーミル』。大きなローラーを回転させて、鉱石を粉砕する仕組みだ。 最後に『ミクロンミル』。高速回転板による衝撃と摩擦で鉱石を粉砕する仕組みだ。
『ミル』から出てきた粉は様々な大きさの粒子が含まれるので、これを分級する必要がある。 そこで活躍するのが『エアーセパレーター(風力分級機)』だ。 『エアーセパレーター』は、空気の流れによって大きな粒子と小さな粒子に分級する。
何段階かの分級過程を経ると、粒子の揃った『重質炭酸カルシウム(重炭)』が得られる。 更に細かな不純物・異物を取り除いた後、空気輸送管を通って、製品貯蔵サイロに送り込まれる。 サイロに貯蔵された重炭は、袋詰機により、袋詰されて製品となる。
これが、恐らく重炭の袋詰めをする装置だろう。 重炭は、石灰石を直接粉砕して製品にするので、化学反応工程がない分、安価である。 その為、原料として大量に使用する場合に用いられる。
学校の運動場などのライン引きに利用されるのもこの重炭だ。 これに対し、白石工業の名産である『軽質炭酸カルシウム(軽炭)』は、更に工程が複雑だ。 粉砕した石灰石を『熱乾炉』で800〜1300℃の高温で熱成する。
すると、『生石灰(酸化カルシウム)』が生成する。 生石灰は、せんべいなどの袋に入っている乾燥剤で、吸湿性が高い。 石灰石から生石灰を熱成する工程は、フロンガスを無害化することができる。
生石灰を熱成する時に出る熱でフロンを塩素とフッ素に熱分解する。 石灰石と一緒に炉の中にフロンガスを送り込めば、2〜3秒ほどでほぼ完全に分解する。 そして、塩素は生石灰と反応して塩化カルシウムになる。
塩化カルシウムは海の成分の一つであるので、害が少ない。 一方のフッ素は、生石灰と反応してフッ化カルシウムになる。 フッ化カルシウムは蛍石の主成分である。
生石灰を水と反応させると、『消石灰(水酸化カルシウム)』が生成する。 この工程では、膨大な熱エネルギーが発生するので、注意が必要だ。 しかし、この反応は、コンクリート建造物の破壊にも役立つことがわかっている。
従来、コンクリート建造物は、重機による機械的破壊やダイナマイトによる爆破が主流である。 だが、これらの方法で破壊を行うと、大量の粉塵が舞い上がり、動物の肺を冒したり、植物にダメージを与えてしまう。 生石灰をコンクリートに付着させ、水をかけると、熱膨張によりコンクリートに亀裂ができる。
これにより、騒音も起こさずに静かに破壊することができるというのだ。 生石灰や消石灰は、強塩基性なので、手についたりすると、皮膚が溶けたりする。 しかし、その強塩基性は、酸性土壌を中和する改良剤としては、需要が高いのだ。
そして、消石灰を炭酸ガスと反応させると、炭酸カルシウム(軽炭)が生成する。 これがタンカル顔料(炭酸カルシウム顔料)の原料となるのだ。 白石工業は、そのタンカル顔料の国内パイオニア的な企業なのである。
双子の倉庫。この辺りまでは、車で来ることができる。 倉庫の中はガラーンとしている。こういう場所はサバゲ消防・厨房・工房の餌食になりやすい。 倉庫の中に、カッコイイJEEPが止まっていた。
白石工業の名前がしっかりと書かれていた。 石灰砂を袋詰めする装置だろうか。2種類の粉を混ぜ合わせる仕組みになっている。 共同浴場にあった湯沸し器。ダルマストーブのような外観だ。
トロッコの駅と思われる場所。この左下に巨大な空間が広がる。 恐る恐る下を覗きこんで見た。真っ白な空間が広がっていた。白い迷宮の名に相応しい場所だ。 袋詰めされた石灰は、トロッコによって運ばれた。軌道がしっかり残っている。
緑に埋もれつつある小さな木造の小屋。 トラックの頭だけが、残骸となって残っていた。トンボの頭がもげた状態を思い浮かべた。 行く手を阻むフジの群生。廃墟が自然に帰ろうとしている過度期を見た気がした。

実験室

緑に埋もれ過ぎた建物。窓以外全部蔦。 建物の内側から見ると、こんなカンジ。窓の緑が光に彩りを与えている。 建物の細かなデザインがオシャレだ。
入口はウェルカム状態だったので、中を覗いてみることにした。 この建物は、実験室だったらしい。この研究室から偉大な発明がされたのだ! 晩年は、石灰の品質検査でもしていたのだろうか?
水道管に直結したアスピレーター。ブフナーロートと併用して石灰の乾燥に使っていたのか? ブロモチモールブルーなどのpH指示薬が並んでいた。 この赤橙色の結晶は、重クロム酸カリウムだろう。六価クロムを含む劇薬だ。
デシケーターには石灰と思われる白色粉末がたくさん入っていた。 イソプロピルアルコールとデカリンが置いてあった。 万が一の時の防火用水だろう。石灰工業は、高熱が発する過程があるからだ。

受電所

受電所の建物は、事務所棟と双子の倉庫の間辺りにある。 外見とは裏腹に、中の機械は非常に綺麗であった。 わりと最近まで使われていたことがわかる。

守衛詰所

守衛詰所。電気工事の器具や材料が色々と置いてあったので、用務員室も兼ねていたのかも。 いいですね。昔風の裸電球の外灯。レトロ感タップリです。 案の定、入口はウェルカム状態だったので、中を覗いてみた。
物が散乱しているものの、ドキュソに荒らされたというほどのものではない。 埃の積もった書類が、流れた時の長さを教えてくれた。 『電気と工事』。もしかして、あのオ○ム社の雑誌でしょうか?
とても古めかしい黒電話。恐らく、閉山ギリギリまで現役だったんでしょう。        

風乾工場(石灰乾燥庫群)

ここは精製した石灰を乾燥させる乾燥庫のようだ。 一つ一つの乾燥庫には、膨大な数の乾燥パレット(トレー)が並んでいる。 乾燥パレットの中に、白色の塊(元は粉末だったようだ)が残っていた。
恐らく軽質炭酸カルシウムか消石灰を乾燥させていたのだろう。 流れた時の長さのせいだろうか・・・。 消石灰は空気中の二酸化炭素と反応して炭酸カルシウムになっていた。
建物内部には、エレべーターもついていた。 木々に埋もれながら、膨大な数の乾燥庫(風乾工場)が道沿いに並んでいた。    

鉱業事務所

事務所棟は、精製プラントから離れた場所にある。 一見、普通の民家に見えるが、中は宝の宝庫だった。 白石工業所桑名工場の名前が書いてあった。
事務室の内部。雨戸が閉まっているので少し暗いが、昼間なので懐中電灯はいらない。 左側の壁の向こう側は応接室になっていた。 湯茶室は微妙に隔離されていた。
物が色々と散乱しているが、倒産したわけでもないのに何故放置したままなのだろう。 巨大金庫は、見事に開けられ、蛻の殻になっていた。 ものすぐぉ〜〜〜く古いラジオ。ここはレトログッズの宝庫だ。
旧式のタイプライターとコピー機。いつ頃まで使っていたのだろう? こちらにも旧式のタイプライター。ステンレスの水筒とバッグがイイ味をだしている。 昔懐かしいガリ板印刷の活字がゴッソリと置いてあった。
静岡県にある重要文化財『旧岩科学校』を彷彿させる急な階段。 木造旅館を彷彿させる2階の廊下。 2階は宿直室と外来用の宿泊室のようになっていた。
2階はもしかしたら、展示室だったのかもしれない。展示ケースが置いてあった。 もう誰も座ることのない応接セット。ここで色んな商談がされたのだろう。 ここのレトログッズを集めて、展示資料館を開いて見たい。
外に出ると、青空に飛行機雲が真っ直ぐ伸びていた。        

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