紅葉

Hotel Momijien


本館1階(紅葉園4階)

神奈川県箱根町のとある山奥にその旅館は存在した。 国際観光ホテル「紅葉園」。その風貌から、神奈川の小曲園とも言われている。 玄関への唯一の入口であった木製の橋は、完全に崩壊している。
現役時代のこの旅館を訪れた人の話では、この橋を渡るのが一番怖かったという。 当初から壊れかけていたのであろうか。この橋の下には小さな川が流れている。 ここが紅葉園の正面玄関である。ここの床は案外しっかりとしていた。
フラッシュ撮影して見たら、不気味な紋様が壁一面にできていた。 玄関ホールにある応接ルーム。カビが蔓延り、おぞましい状態になっていた。 同じ場所を1年後に撮影して見たが、ほとんど変わっていない。
玄関ホール。右側が帳場、左側がお土産コーナーである。 こちらも1年後に撮影。床に落ちている瓦礫が増えているので、自然崩壊が進んでいるようだ。 玄関ホール脇の窓。窓の外には小川が流れている。
提携している会社のプレート類。旅館としては少ない方である。 玄関脇にある「帳場」。いわゆるフロントである。 パソコンがそのまま放置されているので、HDDの中身を見たら、この旅館の経営状態がわかりそうだ。
壁にかけられた時計は2時10分で止まっていた。 感謝状や表彰状は、壁にかけられたままになっていた。 帳場の窓の上にあった「部屋の鍵かけ」。部屋は番号で名前が付けられていた。
帳場にあった配電盤。これを見て、従業員寮が男子寮と女子寮にわかれていることを知った。 帳場の隣にあった「交換室」。床が完全に抜け落ちている。 1年前は、中に入ることができたが、1年の間に崩れてしまった。写真は配膳用のエレベーター。
玄関ホールの隣にある「お土産コーナー」。 食べ物以外のお土産が、色々と残っていた。 玄関ホール。奥が玄関。右はお土産コーナー。左は交換室。
事務室」は鍵が懸かっていて入れなかった。大きな金庫が置いてあった。 事務室前の廊下には書棚があって、たくさんの書類が収納してあった。 事務所の前を通り過ぎると、「厨房」にたどり着いた。
どこに行ってもそうなのだが、厨房の床はたいがいコンクリートで出来ているので安心できる。 特にこの物件のように床がブヨブヨで今にも抜けそうな状態だと、厨房はオアシスそのものだ! 紅○園の名物料理は「バーベキュー」と「そうめん流し」である。
バーベキューはその名も「紅葉焼き」。皿に紅葉がいっぱい盛られていたようだ。 冬場は「鍋料理」も出していたようだ。この季節、鍋はいいね! オーブントースターがあった。これで名物のニジマスを焼いていたのかな?
窓の外は雪景色。でも、室内より、外のほうが何故か暖かかった。 蒲鉾製造機があった。板もたくさんあったので、手作りの蒲鉾を出していたようだ。 厨房の左奥は、食糧倉庫になっていたようだ。
食糧倉庫には冷蔵庫がいっぱいあった。 厨房の隣には、かつては「娯楽室」があった。ここは真っ暗で不気味だ。 晩年は、娯楽室が厨房の一部として使われていた。(部屋の外にある表札は従業員室となっている)
娯楽室から山荘・風呂棟に抜ける「I階段」の入口付近。崩壊寸前だ。 娯楽室前にあった棚。今にも倒れそうだし、この辺りは床も抜けまくっている。 従業員用のロッカーがあった。この辺りは従業員用のエリアに転用されたようだ。
テーブルに収納できるタイプのミシンを発見。意外と新しいので驚いた。 従業員用の配膳室。このエリアは男子寮だったようだ。 旧「No.20」号室。もともと客室だった部屋を従業員用に転用している。
2台のTVを重ねてどうすんの?というカンジ。まぁ、もともと客室にあったものを再利用しただけでしょうが。 「No.20」号室は、和室7畳に床の間つきで、押入れが一間分ある間取りである。 従業員用洗面所。割られていない鏡は、DQNの侵入が少ないことを示している。
従業員用トイレ。従業員用洗面所の奥にある。 No.7」号室。和室15畳+2畳で、専用の風呂がついている。 「F階段」にある内窓。窓が白くなっているのは、障子が破けているわけではない。
窓そのものに白い塗料が塗ってあり、模様が描かれている。 フラッシュを焚かないで撮ると、紅葉の絵柄が浮かんできた。 F階段」。外にある屋根に積もった雪に反射した光が、窓の下の方から差し込んでいる。
本館1階から本館5階に上がる「J階段」。 本館1階から新館2階に降りる「D階段」。

※画像をクリックすると大きくなります。



Back

 

inserted by FC2 system