Hotel in Kanagawa

〜神奈川県の廃ホテル・廃旅館・廃民宿・廃山荘〜


ホテル 紅葉園
1959年に開業した木造の迷宮系物件で、山荘や風呂の造りが綺麗なホテルです。温泉の泉質は硫黄泉で、近くを流れる川も硫化水素臭漂っていました。防災標準適合マーク適用外だったこともあり、1994年頃に廃業になりました。その後、廃墟化し、2005年1月3日、不審火により全焼しました。
※焼失しました。

大伊豆ホテル
1952年に開業した白亜の巨大なホテルで、1961年、1962年、1966年の3回増築し、7つの宴会場を配していました。薬草が入ったハーブバスを売りにしており、医師による検診、人間ドックができるようにもなっていました。1968年2月25日6:30頃にB2Fのボイラーから出火し、煙により死者2名(4F1名、4Fから飛び降り1名)、負傷者79名を出し、宴会場などが焼けました。残念ながら2006年に解体されました。解体工事中に高濃度のアスベストが噴出したとのことで、かなり話題になりました。
※解体されました。

夕陽山荘
元々は『夕陽山荘』という旅館でしたが、廃業後に、この建物は、隣接する『大伊豆ホテル』の従業員寮として再利用されていました。大伊豆ホテルの廃業に伴い、この建物も廃墟になりました。建物の1階には、大伊豆ホテルの古い備品がたくさん置いてありました。残念ながら、大伊豆ホテル解体と共に、こちらの建物も解体されてしまいました。
※解体されました。

油井観光ホテル別館
本館は、施設は古いものの料理に定評のあるホテルで元気に営業しているのですが、その目の前にある別館は、壁が崩壊し、天井は剥がれ落ちまくり、まるで別世界のような状況になっていました。内部には、本館で使用しなくなった備品類がたくさん放置されていました。この別館は、残念ながら解体されました。その後、本館も廃業になり、解体されました。
※解体されました。

N自動車健康保険 湯河原保養荘
某温泉街の最奥地にある廃墟で、某有名自動車メーカーの保養所だった建物です。4階建ての本館と、2階建ての別館がありました。1987年頃に閉鎖され、廃墟化しました。本館の方は、人的破壊も多く、雨漏りも酷く、天井が剥がれ落ち、カビが蔓延っている場所がありましたが、別館は見つけづらい場所にあるせいか、あまり荒らされていませんでした。
※解体されました。

湯河原研修センター
2000年頃に訪れた時は、全面ガラス張りで、鉄壁な状態でしたが、2006年頃に訪れた際には、ガラスの半部以上が割られている状態で、ウェルカム状態になっていました。内装はほとんど解体されており、建物としては機能していないのですが、屋上の露天風呂の部分だけは、まだまだ湯が引かれており、誰かが使用しているようでした。なお、同名の建物がいくつかあります。2010年には一部の壁を残して瓦礫の山と化しました。
※解体されました。

仙○温泉ホテル
東京オリンピックに向けて箱根にホテルが乱立する中、このホテルは、一足遅れて1954年8月1日に開業しました。1959年には増築をしましたが、その後、経営が悪化し、1987年8月31日に廃業しました。その後、近くのホテルの事務所として転用されましたが、事務所も移転し、今は倉庫として利用されています。たまに、管理人らしき人が巡回しに来ています。
※管理・転用されています。

レストランホテル レステル八○原
1970年に開業したレストランと24時間営業のホテルを兼ねた施設です。八○原の絶景と、軽食メニューの充実さが売りのお店でした。コーヒー(330円)とスパゲティが人気だったようです。建物はレトロ感たっぷりですが、黒い蝶ネクタイの店主の心のこもったサービスも地元では有名だったようで、リピーターは多かったようです。2004年から休業しています。
※管理されています。機械警備あり。

ホテル EMPIRE
1965年3月28日に開業した地上21階、地下2階建ての巨大な五重塔のようなホテルです。21世紀にちなんで21階建てにしたそうで、21階部分は回転展望レストランになっていました。日本の超高層建築第一号で、山の上に建つ高さ68mのホテルは、かなり遠い場所からも確認できます。高級ホテルで、隣のドリームホテルが1泊700〜1500円だった時代に、1泊4000〜10000円だったそうです。1995年に廃業して廃墟化しました。現在は、改装され、横浜薬科大学の図書館棟として転用されています。
※リニューアルしました。

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