Hospital in Kanagawa

〜神奈川県の廃病院・廃診療所〜


恵心病院
『河野病院』が廃院になり、1989年に競売で落札され、『山際病院』が開業しましたが、経営者が夜逃げしてしまい、『厚木恵心病院』として再開したものの、1997年に経営破綻して再び廃院になりました。その後、廃墟化すると共に、有名な 肝試しスポットとなり、週末になると外国人ボランティアが院内でオバケ役をやるなど、かなりフィーバーしていた時期もありました。2011年11月に解体されました。
※解体されました。

T病院
1973年に開業した病院です。元々、旅館か保養所だった建物を改装して病院にしたようで、入口内部は古い旅館の面影を残しており、奥の新館部分は、部屋のつくりが旅館(または保養所)そのものでした。内科と整形外科があり、リハビリの器具がたくさんありました。1996年6月30日に廃院になりました。夜逃げによる廃院なのか、大量の備品が残っていました。
※管理されています。

獣人病院
正式名称は『十○病院』です。 移転による廃墟化なのか、医療器具は古いものだけが裏手の廃屋部分にたくさんおかれており、廃屋部分が倉庫のようになっていました。整形外科(美容外科)がメインで眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、婦人科もやっていたようです。顕微鏡やテルモの注射器など色々なものが置いてありました。
※管理されています。

稲田登戸病院 隔離病棟
1960年頃に開院した病院の隔離病棟施設です。第7〜第8病棟が隔離施設になっており、廃墟化していました。病院敷地の大半が民有地を借地したもので、1987年から借地権更新拒絶の意思表示がなされ、地主らから敷地明け渡しの訴訟が起こされていました。本館施設の老朽化もあって、2006年3月に廃院になり、2008年に解体されました。旧施設の方は放火により焼失し、解体されました。跡地にはマンションが建っています。
※解体されました。

鳩屋敷
1930年に建てられた昭和初期建築の洋館風病院です。銅製の屋根のアプローチや漆喰細工の破風など、いくつかの見所があり、かつては白塗りの壁だったそうです。 正式名称は不明ですが、通称『鳩屋敷』と呼ばれています。屋根が崩壊していますが、それでも人が住んでいたようです。2006年にその住人の方が亡くなられ、残念ながら、2007年1月に解体されました。
※解体されました。

大○病院 旧病棟
1953年に開業した病院で、写真の建物が、その当時の2階建て木造病院です。裏手には宿直用の一軒家もありました。後に、隣接地に新病棟が出来たために、旧病棟は廃墟化しました。その後、旧病棟は解体され、現在は、跡地に分譲住宅地が建っています。新病棟の方は現役です。
※解体されました。

鎌倉市景観重要建築物等16号
旧安保小児科医院
1924年頃に建てられ、1965年頃に和風住宅と渡り廊下の建替え、北側便所増築に伴い、旧便所は検査・処置室に転用、1977年頃1階床の改装、1988年頃北側外壁のモルタル吹付などの改築がなされました。1995年11月まで医院として使われていました。現在は、鎌倉風政保存会の活動拠点として転用されています。
※一般公開されています。

横浜市愛児センター
1952年に開院した横浜市産院が老朽化した為、1964年から改築工事がなされ、1965年5月に「横浜市愛児センター」として開院しました。2000年1月横浜市大医学部付属市民総合医療センターに統合され、廃院になりました。現在は外壁がピンク色に塗られ、「中村地区センター」として転用されています。
※転用されています。

川崎市立 向丘診療所
川崎市内の市立病院で、内科・小児科・耳鼻科がありました。鉄筋コンクリート3階建て、延床面積978.7m2の建物でしたが、老朽化の為、改築・存続も検討されましたが、2007年に廃院になりました。2008年1月に解体され、跡地には「川崎西武地域療育センター」が建てられ、2010年4月から開業しています。
※解体されました。

日本赤十字社 横浜赤十字病院
1923年9月1日関東大震災の臨時救急病院として開院、後に根岸療院と改称、1946年6月横浜赤十字病院と改称、1964年4月現在地に新築移転、1990年2月増改築して380床となり、2005年3月に横浜市立港湾病院と共に統合され、横浜みなと赤十字病院が新設され、廃院になりました。2006年頃に解体され、2011年頃に、跡地にマンションが建ちました。
※解体されました。

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