Mine in Iwate

〜岩手県の鉱山遺跡〜


釜石鉱山 釜石鉱山
平安時代に発見された銅と鉄の鉱山で、明治時代には官営となりました。太平洋戦争の際に、本土初の艦砲射撃の標的にされ、製錬所や街が壊滅しましたが、1923年より復興し、日本一の鉄山になりました。1989年3月、釜石製鉄所溶鉱炉閉鎖。1992年に銅山が、1993年2月に鉄山がそれぞれ廃鉱になりました。残念ながら、2006年末に解体されました。
※解体されました。

ラサ工業 田老鉱山
1919年に開鉱した銅、鉛、亜鉛、硫化鉄の鉱山。1961年にフェーン現象で施設が全焼し、翌年に全施設を新設しました。1971年9月20日に閉山、11月に廃鉱になり、1979年から明☆大学田老キャンパスになり、1984年からは、宇宙線観測所になっています。現在も鉱水処理施設が稼動しており、宇宙線観測も行われています。
※管理・転用されています。一部稼動中。

田中鉱業 土畑鉱山
1900年に開鉱した銅山です。1977年に採掘廃止になりました。その後、斜面の選鉱所の建物は取り壊され、山肌にシックナーの遺構などが残っています。現在は、鉱水処理を兼ねて、坑内排水からバクテリアが溶出した銅を鉄くずで回収する方法で稼動しており、年産10トンほどの沈殿銅を採集しています。
※管理されています。一部稼動中。

ラサ工業田老鉱山 宮古出張所
1918年に開鉱した田老鉱山の出張所で、この建物は1936年に作られました。13.5km北にある田老鉱山から、索道で運ばれた鉱石を一時的に貯蔵し、3.5km西南にある宮古精錬所に貨車やトラックなどで運搬していました。この施設は、1971年 の鉱山本体の廃鉱に伴い、閉鎖されました。建物は鉄格子で入口を塞がれていましたが、当時はスリムだったので、格子の間をスルスルとすり抜けて入ることが出来ました。残念ながら2004年に解体されてしまいました。
※解体されました。

釜石鉱山 小川山製炭所
鉱業所前というバス停があったので、行って見たらホッパーのようなコンクリートの遺構がありました。場所的に見て、小川山製炭所の関連施設ではないかと思います。この辺りは、製鉄用の木炭を運ぶ鉄道が走っていたので、その鉄道に積荷を積載する施設であったのかもしれません。
※管理されています。

日本鉱業 花輪鉱山
1908年に発見された銅、鉛、亜鉛、硫化鉄の鉱山です。1986年に廃鉱になりました。シックナーを改装した丸い形の建物が印象的でしたが、まだまだ施設が綺麗な状態なので、絵(写真)になる遺産ではありませんでした。現在は、鉱毒処理のために、鉱水処理施設が稼動しています。
※管理人がいます。一部稼動中。

日本粘土鉱業 旧施設
1840年頃に石炭が掘られたのが操業の始まりでした。レンガや製鉄用の型枠などを作るための耐火粘土の鉱山です。奥の方に素敵な世界が広がっていました。日○粘土鉱業は1990年代半ばに操業を止めていますが、 その後、別会社が敷地内で操業をしていて、旧施設が残っていました。残念ながら、2009年に解体されました。
※解体されました。

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