Mine in Ibaraki

〜茨城県の鉱山遺跡〜


東洋金属鉱業 栃○金山
江戸時代に開鉱した金山です。当時は佐竹氏の配下にありました。その後、廃墟化しましたが、1928年に採掘が再開され、現役の金山では日本一の金の含有量を誇っていました。1999年頃に操業停止。以前は、観光坑道になっていて、大人600円で坑内を案内してもらえ、選鉱所も見学させてもたえたのですが、2005年5月から休山しています。
※管理されています。

常磐炭鉱 茨城炭鉱中郷坑
1911年に開鉱し、茨城無煙炭鉱、大倉無煙炭鉱、入山採炭中郷鉱、常磐炭鉱茨城鉱業所中郷鉱と経営が色々と変わり、高度成長期に、当時、最新型の機械を導入し、新坑開発に着手したものの、新坑開鉱直前に、地下水が噴出し、全坑水没が免れなくなり、1971年に廃鉱になった悲運の炭鉱です。比較的広範囲に炭鉱施設が分布していました。
※管理されています。

重内炭鉱
古くは1901年頃から採炭されていたようですが、1939年に本格開鉱した炭鉱です。エネルギー政策の転換に伴い、石炭鉱業合理化臨時措置法が成立し、その煽りを受けて、1969年10月に廃鉱になりました。かつては、磯原駅から専用の炭鉱線がこのホッパーのある場所まで延びていました。今でも、その面影を随所で見ることができます。
※管理されています。

入山採炭第六坑
1917年に開鉱に着手するも、すぐに休山し、1928年に本格開鉱。しかし、もう一度、休山し、1931年に再び掘削開始。1932年に着炭し、本格的に軌道にのりました。1935年にガス爆発が起こり、49名の死者と3名の負傷者を出しました。1944年に磐城炭鉱と合併し、 『常磐炭鉱新多賀炭鉱』になりました。『第六坑区』という看板が集落の入口にある建物に掲げられています。1945年に常磐炭鉱茨城鉱業所の管轄になり、中郷地区と共に発展してきましたが、1971年に閉山しました。現在、この跡地には、記念碑などが建っています。
※管理されています。

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