Hospital in Ibaraki

〜茨城県の廃病院・廃診療所〜


東京医科歯科大附属 ○ヶ浦分院
1947年に開業した病院です。元々は、鹿島海軍航空隊の司令部の建物でした。写真の部屋は、その最高位にいた人の部屋だったようです。他とは造りが異なり、豪華でした。終戦後、国立東京医科歯科大学附属病院の分院として開業し、1991年に閉鎖されました。洋館風の内装が美しい物件でした。 現在は窓などが板張りされ、管理人が常駐しています。
※管理人がいます。

鹿行中央病院
1992年頃に廃院になりました。写真の手術室の他に、緊急の処置室もあり、全ての機材が残っている状態でした。レントゲン機などの巨大医療機器から、薬品、注射器、酸素蘇生器、聴診器など、いかにも病院らしいものは全て残っていました。元々は、岡村整形外科(夜間受付の所に看板がありました)という整形外科病院だったので、リハビリ用の機器類が壁に備え付けになっている部屋がありました。 廃墟化後、道路側の壁が崩落し、窓などが板張りされていましたが、残念ながら、解体されました。
※解体されました。

水戸医院
1976年頃に開業した精神病院の廃墟です。精神科、神経科、内科がありました。写真で見ると小さく見えますが、裏側に大きく広がっており、案外大きな病院でした。精神病院なだけに、病室の外窓はもちろん、廊下にも鉄格子があり、留置所のような独房もありました。 残念ながら、2007年2月に解体されました。
※解体されました。

岡崎病院
戦時中はサナトリウムとして使われていた古い木造病院の廃墟です。昭和30年代の書類が落ちていましたが、1977年頃に廃墟になったようです。残留物から、少なくとも、内科と産婦人科があったようです。特に、産婦人科関係のものが色々と残っていました。第一病棟と第二病棟があり、意外と大きな病院でした。
※解体されました。

飯地整形外科
手術室の残る整形外科の廃墟です。病棟の置くには院長宅がつながり、その外には、従業員寮がありました。寮の2階には、切られた頭髪が無数に落ちていて不気味でした。寮のコンロには瓦斯自動販売機が繋がれていて、硬貨でガスを買うシステムになっていました。ステロイド性抗炎症剤であるオパイリン錠の缶が落ちていたのには笑いました。現在は、不審火により院長宅側が焼け落ち、辛うじて手術室の辺りが残るのみとなってしまいました。 その後、敷地内の不法投棄が激しく、警察が巡回に来たりしていましたが、残念ながら、解体されました。
※解体されました。

小○病院
聖○会に所属していた精神病院の廃墟で、心霊系の人たちの間では『小川脳病院』として有名な物件です。正式名称は、建物の入口外壁や、院内に落ちている外用薬の袋で確認できます。案外大きな平屋の建物で、病室の随所に格子がはめられています。また、奥には江戸時代の牢屋のような独房もありました。
※管理されています。

美浦まきば病院
4階建ての大きな精神病院 でしたが、1997年に発覚した職員水増し・医療費不正受給(6億5000万円)などの理由で廃院になり、競売にかけられ、その後『晃和みほ病院』として、再開しましたが、1999年に廃業しました。 夜逃げだったのか、1階部分には一家の家財道具や衣類、アルバム等一切が棄てられていました。現在は、某企業の研修センターにリニューアルしました。
※リニューアルしました。

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