Akenobe
Mine 7

 

Photography

Machine Factory

しかし、明延鉱山の錫鉱の採掘量は、半端ではなく、

後年に日本の錫鉱山の90%のシェアを占めるほどだったので、

早期に大規模選鉱所の建設を行い、施設の拡張が望まれたのだ。

 

Work Desk

そこで、山を挟んで南側にあった

神子畑鉱山の敷地を利用する計画がなされた。

もともと、神子畑鉱山は金の採掘を目的に開発されたのだが、

期待できる産出量ではなかったので、金の採掘を諦め、

錫鉱の選鉱所の建設に踏み切った。

 

Work Place

そして、1919年(大正8年)に、『神子畑選鉱所』が建設された。

明延鉱山で採掘された鉱石を神子畑鉱山に運び、

生野銀山で製錬をするという構想で、建設が始まったのだ。

 

Factory

しかしながら、明延鉱山から神子畑鉱山に鉱石を運ぶには、

山を一つ越えなければならなかった。

 

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