Apartment in Hyogo

〜兵庫県の廃集合住宅〜


生野銀山 鉱員社宅
生野銀山は807年開坑し、1896年から三菱鉱業の経営になり、国内有数の銀山となりました。430年間で、坑道延長350km、銀産出量は1723トンに及びましたが、1973年に閉山になりました。その後、鉱山の一部は観光坑道などに整備されましたが、集落は過疎化していき、鉱員社宅のいくつかは廃墟化していきました。
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