Village in Hokkaido

〜北海道の廃村・廃集落〜


廃村 鹿島
1960年頃は人口2万人いた大夕張は、ダム建設のため、立ち退き要請がなされて1998年に廃村。1999年までは小学校の校舎が残っていましたが、次第に集落の建物も次々に取り壊されていきました。写真は集落で最後まで建ち続けていた電気店の廃屋です。
※ダム建設中で、間もなく水没します。

廃村 昭和
1930年に開鉱した昭和炭鉱の鉱員住宅群の廃墟。硫黄分の少ない良質な石炭を産出する炭鉱で、その埋蔵量は2億トンとも言われましたが、エネルギー革命の煽りを受け、1969年に廃鉱になりました。いくつものアパートが建っていて、その光景は圧巻でした。 地下の商店街もあります。この炭住への道のりは遠く、熊の生息地域なので、訪れるにはかなりの危険を伴います。
※管理されています。熊出没注意。

廃村 築別
閉山直前に建てられた4階建てのアパート群が林立して残っています。洋式水洗トイレも完備されていましたが、実際に人が住んだのは1年余りだったようです。他に、病院や消防署、映画館の廃墟などが残っていました。警察が頻繁に巡回警備をしているようです。
※管理されています。熊出没注意。

廃村 新尺別(緑町)
新尺別は、尺別炭鉱の鉱山集落の1つでで、かつては写真の建物の裏手に新尺別駅がありました。地名としては緑町という名称だったようです。1969年に炭鉱が廃鉱となり、集落の人たちは離村し、この年に木造家屋のほとんどが取り壊され、今に至っています。集落にはGSの跡なども残っています。写真は『尺別生活館』という建物です。
※管理されています。

廃村 鴻ノ舞
1915年に金鉱脈が発見され、鉱山集落が出来ました。鴻ノ舞金山は、1936年には金の採掘量日本一になるほどでしたが、1973年に資源の枯渇により廃鉱となり、村は廃村となりました。現在は、それぞれの集落のあった場所に名前の書かれた看板が立っています。
※案内板あり。

廃村 炭山
1918年に開鉱した浦幌炭鉱の鉱山集落です。炭鉱本体は1954年に廃鉱となりましたが、集落には1960年代後半まで人が住んでいたようです。写真は、職員住宅のアパートで、いくつかの棟が木々に埋もれるように建っています。現在は、案内板が建っており、どこにどんな建物があったのか知ることができます。
※案内板あり。

廃村 上羽幌
1940年に開鉱した羽幌炭鉱上羽幌坑の鉱山集落です。エネルギー革命の煽りを受け、炭鉱本体は1970年に廃鉱。しかし、羽幌炭鉱の集落の中では最も最後まで住人が残っていました。現在は、鬱蒼として林の中に炭鉱住宅が埋もれており、屋根も潰れ、自然に還ろうとしています。
※熊出没注意。

廃村  中外
中外鉱業上国鉱山があった鉱山集落で、最盛期には約1500人が住んでおり、250戸ほどの住宅と、商店、診療所、簡易郵便局、集会所、小中学校、保育園などがありました。1986年に鉱山が閉山になると、集落は過疎化の一途を辿り、やがて無人化して廃村となりました。現在も、いくつかの施設が辛うじて残っています。
※管理されています。

※画像をクリックすると調査レポートのページに飛びます。

※画像をクリックしてもページが飛ばない場合は、調査レポートを公開していない物件です。

その他の物件

Return

 

 

 

inserted by FC2 system