羽幌炭鉱

Hahoro Coal Mine


羽幌炭鉱立坑は、鬱蒼とした森の中に建っている。 その近くに羽幌炭鉱鉱業所のビルも林の中に建っている。 道道沿いには、羽幌第二選炭工場の巨大ホッパーが建っている。
ホッパーの側面には「羽幌鉱業所」の文字が書かれていた。 ホッパーの中には簡単に入ることができる。 中に入ってみると、車が止まっていた。ここは炭鉱鉄道が石炭を積む場所である。
廃車の軽自動車だ。車種はミラだろうか? 見上げると、ホッパーには番号がついていた。これは10番ホッパーだ。 ホッパーの穴からこぼれる陽射しが眩しかった。
ホッパー内には、羽幌炭鉱鉄道の枕木が残っている。 羽幌炭鉱鉄道が開通したのは昭和16年12月14日のことである。 雨上がりだったせいか、奥のホッパーは水没していた。
羽幌炭鉱は昭和14年、太陽鉱工(旧太陽曹達)によって開かれた。 かつては第ニの夕張と言われるほどの繁栄ぶりであった。 火力発電所の大煙突がポツンと建っている。
かつては、この羽幌坑だけでも4500人ほどが住んでいた。 草を掻き分けて行くと、事務所のあった鉱業所の建物に辿りついた。 といっても注意が必要だ。獣道が獣臭いのだ。
早速、内部潜入調査を開始。便所の看板を発見。 築別炭鉱アパートのように水洗ではなかった。 流石は真夏。窓の外は、ジャングル状態になっている。
鉱業所の建物内は、ほとんどコンクリートのみの状態になっていた。 セピアフィルターで撮影。これだけで、いい味が出る。 この羽幌炭鉱は、開坑当初、坑内火災が相次いだらしい。
その為か、ガス抜き用の穴があちこち開いているらしい。 この穴は竪穴で、石ころを落としても音が聞こえない程深いらしい。 そんな穴が草むらに隠れているので、この辺りでの探索は注意が必要だ。
迂闊に草むらに入り込むと穴に落ちて即死である。 私は、地面の見える場所を草を掻き分けて建物に入った。 開坑当初は1tの石炭も掘れない日があった炭坑であったが。
昭和30年代には、年産100万tを越す優良炭鉱に変化した。 この階段を見たとき、クロノトリガーというゲームを思い出した。 階段の形状、扉の位置が全く同じだったからだ。
向こうに見える立坑までの道のりは、草が深すぎて近づけない。 雪が降る直前なら行けそうだが、羆の出没もケアしなければならない。 階段を登ると、事務室があった。手書きのプレートがイイ!
床にはコケが生えている。でも綺麗な緑色だ。 神棚が残っていた。黒板には何か書いてある。 こう書いてある「貴女と私を逢わせてくれた、南通りに灯がともる
さよならなんかしたくない、焼尻天売も霧の中 港羽幌の、港羽幌の恋の夜」という歌詞だ。 DQNの落書きと違って、達筆で情緒がある。
屋上に上がり、立坑を望む。いい眺めだ。 第ニ選炭上の巨大ホッパー最上部が目の高さにある。 戦時中のエネルギー不足で急ピッチで開発された羽幌炭鉱であったが。
エネルギー革命の波により、閉鎖を余儀なくされた。 鉱業所の建物から、更に草むらを奥に奥に進むと。 立坑の下にある赤い建物の下部に辿りついた。
1階部分はあちこち崩壊しているが、辛うじて詰所のような箇所が残っていた。 この鉄板の向こう側は、水がたくさん溜まっている。 ずっと奥まで坑道が続いており、恐らく立坑の真下に行けるものと思われる。
上に行く階段は壊されているのは、自然崩壊なのか。残念ながら登れない。 上に穴があるわけでもないのに、明るく光る発光体が写り込んだ。 2階にはいくつか小部屋があるようだが、どうにも登れる場所が見つからなかった。
この長い坑道の向こうにもコンクリートの施設があった。 天井のパイプは長い年月で錆びきっていた。 これが、この建物の外見。ずっと上まで続いているが、残念ながら中から上ることはできない。
森の中に眠るホッパー。羽幌炭鉱は昭和45年12月15日に閉山した。 それと共に、羽幌炭鉱鉄道も廃線となったのだ。    

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