関ヶ原ウォーランド |
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笹の可児才蔵 |
1554年、『藤原吉長』として尾張羽栗郡にて誕生。
宝蔵院胤栄に槍を学んだ槍の名手で『宝蔵院流槍術』の使い手。
次々と主人を代えたことでも有名であり、
佐々成政、斎藤龍興、柴田勝家、明智光秀、織田信孝、
羽柴秀次、前田利家、福島正則らに仕えた。
自分自身で髷が結えるという特技を持っていた。
1600年9月、関ヶ原の合戦に東軍(福島正則隊:戦力6000)として参加。
先鋒を務め、東軍一の数である17名の首を討ち取った。
才蔵は首を討っても、それを首袋に入れて届けるということはせずに、
自分の討ち取った首には、口に笹の葉を噛ませて、
首取りに専念し、笹の葉を自分の討った首としての証拠としたことから、
『笹の才蔵』と呼ばれるようになった。
後年、安芸東条城(1.3万石)の城主となる。
1613年6月24日、愛宕権現信仰が強く、
自分の予言通り、権現様の縁日である24日に死を迎えた。
享年60歳。
広島県広島市東区尾長東にある才蔵寺は、
この可児才蔵を奉っているが、この寺にある『みそ地蔵』は、
地蔵の頭に味噌を乗せて祈願すると、受験に成功するといわれており、
毎年、受験シーズンになると、たくさんの受験生が訪れている。