関ヶ原ウォーランド

後藤又兵衛

1560年、後藤基国(新左衛門)の息子『基次』として播磨にて誕生。

後に『又兵衛』と改名。

『槍の又兵衛』の通り名で恐れられていた。

『黒田二十四騎』『黒田八虎』の一人。

1600年9月、関ヶ原の合戦に東軍(黒田長政隊:戦力5400)として参加。

黒田軍に属し、黒田軍を勝利に導いた第一貢献者。

その戦功を買われ、筑前大隈城1.6万石を授かった。

大阪夏の陣では、豊臣軍に従い、大阪五人衆と称えられた。

今福の戦いでは、上杉景勝、佐竹義宜の両軍と激戦を繰り広げた。

大阪の陣までに、負った戦傷の数、53箇所という百戦錬磨の武将。

1615年5月6日、河内道明寺の戦いで、

伊達政宗、水野勝成、本多忠政らと遭遇し、

激戦を繰り広げ、敵の銃弾に倒れ、家臣に介錯させた。享年56歳。

 

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