School in Fukushima

〜福島県の想ひ出の学び舎〜


郡山市立 月形小学校浜路分校
明治時代に浜路分教場季節分校として開校しました。その後、横沢小学校に統合され、さらに月形小学校浜路分校となりました。1973年に閉校になりました。その後、一時期、集会場などに転用されましたが、老朽化と共に廃墟化しました。解体が予定されており、その解体費用は160万円だそうです。
※管理されています。

会津若松市立 双潟小学校
1908年に共和尋常小学校双潟分教場として開校。
1951年、双潟小学校として独立。
1963年、新校舎建設。
1964年、特別校舎増築。
1999年3月31日、原小学校、共和小学校、赤井小学校と共に統合し、湊小学校となって閉校。
マラソン到達実践個人早見表というのがあり、4〜6年生は406kmのノルマがありました。
※2013年9月に解体されました。

会津若松市立
双潟小学校経沢季節分校
1952年双潟小学校経沢季節分校として開校しました。小学校3年生以下が通っていました。1964年に校舎を新築しました。その後、廃校となり、残念ながら、2006年に解体されました。
※2006年に解体されました。

川俣町立 小綱木小学校
1875年小綱木小学校として開校、1894年校舎を移転し、小綱木尋常小学校と改称、1900年沢分教場設置、1933年校舎を現在地に移転、沢分教場廃止、1941年4月小綱木国民学校と改称、1947年4月小綱木小学校と改称、1985年3月31日大綱木小学校と統合し、川俣南小学校となり、閉校になりました。その後、農業振興公社による町の名産物「川俣シャモ」の加工工場として転用されています。
※転用されています。

浪江町立
旧津島第二小学校 
1941年4月1日津島第二国民学校と改称、1947年4月1日津島第二尋常小学校と改称、1983年津島小学校第二分室と改称、1984年3月31日閉校。
その後、校舎は解体され、校舎跡地には「赤宇木集会所」が建っています。体育館はそのまま転用されています。
※転用されています。

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