Mine in Fukuoka

〜福岡県の鉱山遺跡〜


日本国有鉄道 志免炭鉱
1888年に開坑した炭鉱です。当時は海軍省の管轄で、軍艦用の石炭を確保することが目的でした。1945年に門司鉄道局、1946年に運輸省の管轄になり、1949年から国鉄の経営になりました。1964年7月に閉山になりました。その後、新エネルギー産業技術総合開発機構の所有となりましたが、2006年4月1日に志免町に無償譲渡されました。建物の老朽化と維持費の問題を抱えつつも、産業遺跡的価値が高く、町のシンボルt的な存在でもあるということで、竪坑櫓 と斜坑の坑口は、今のところは保存という形を取っています。
※管理物件。重要文化財。

呼野鉱山
1597年頃から開鉱した金山で、金・銀・銅の採掘が行われていました。東大寺の大仏の建立の際にも、ここの銅が使われたそうです。木造の選鉱所 や鉱員事務所、坑口が残っています。 兵庫県にある『生野銀山』の鉱物館には、この鉱山で採れた金が展示されています。現在は、現役の工場敷地になっている為、見学には許可が必要です。
※管理人がいます。

三井三池炭鉱 宮原坑
1898年に開鉱した炭鉱で、この竪坑櫓は、1901年に建設されました。40〜50トンもの石炭を採掘しましたが、1931年に閉山になりました。閉山後、写真の第二竪坑は、1997年まで排水処理施設として使用されていました。1998年に国の重要文化財に指定され、2000年に国指定史跡になりました。2015年7月5日に世界遺産登録。
※世界遺産として一般公開されています。

三井三池炭鉱 宮浦坑
1887年に開鉱した炭鉱で、当初は官営でしたが、1889年に民営化されました。最盛期には年間100万トンの石炭が採掘され、トータルで4000万トンもの石炭を採掘した炭鉱でしたが、1968年に閉山しました。2000年に 国の登録有形文化財に指定されました。現在は、『宮浦石炭公園』になり、史跡として保存されています。
※管理物件。登録有形文化財。

香月炭鉱
1879年に開鉱した炭鉱で、ここで採掘された石炭は、1901年に開業した『八幡製鉄所』などに運ばれ、製鉄の際に使われていました。1968年の炭坑閉鎖と共に、廃止になりました。現在は、1912年に建設されたレンガ造り変電所やホッパーなどが残っています。
※管理されています。

麻生鉱業 麻生炭鉱
石炭産業で財をなした九州三大財閥の1つである麻生財閥が経営する炭鉱でした。エネルギー革命の煽りを受け、わずか18年で閉山されてしまいましたが、採掘で得た財を元に、セメント工業へと転身し、福岡有数の巨大企業となり、2代目・3代目は政界へも進出しています。
※解体されました。

三井鉱山 田川炭鉱 伊田坑
1908年に操業を開始した炭鉱です。1964年3月に閉山しました。その後、新田川炭鉱が発足し、後を継ぎましたが、それも1969年に閉山になりました。現在は、石炭記念公園として整備され、当時の機械類などを展示した資料館もあります。伊田第一竪坑櫓や炭坑節で歌われた二本の大煙突が保存されています。
※史跡として保存されています。

辺境の石城 犬鳴城
通称『犬鳴城』と呼ばれるこの物件は、正式には『梅谷吉蔵産業採石所』といいます。この採石所は、1992年頃には、既に操業を停止していたようで、後にプラント部分が解体され、コンクリートの部分だけが残りました。会社本体は、2003年11月に民事再生手続きを開始し、その後、住商セメント系のホリデンという会社に吸収合併されました。
※管理されています。

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