Mine in Ehime

〜愛媛県の鉱山遺跡〜


昭和鉱業 大久喜鉱山
1920年に開鉱した銅山です。1934年に昭和鉱業によって機械化され、愛媛県第二位の鉱山に発展しましたが、資源枯渇により、1971年に閉山しました。その後、廃墟化していましたが、1997年に跡地を利用して、レジャーランドが開業し、選鉱所施設が一般公開されていました。その時の名残として、鉱山資料館や大量のゲーム機が残っていました。残念ながら、2006年に解体されてしまいました。
※解体されました。

住友金属 佐々連鉱山
1689年に発見された鉱山で、銅、硫化鉄、金、銀、亜鉛、鉄、珪酸マグネシウムの鉱山です。1962年頃に最盛期を向かえ日産845トンも採掘していました。その後、金属価格の暴落により、経営難に陥り、1979年6月30日に閉山になりました。現在も鉱水処理施設が稼動しており、管理人が巡回警備しています。
※管理物件、巡回警備あり。

住友金属 別子銅山
1690年に発見された銅山で、明治時代に煙害問題が発生し、製錬所が移転することになり、瀬戸内海の四阪島に作られ、1905年から操業開始になりました。1900年には銅山川鉱毒事件という水質汚染公害が起こりました。1973年3月3日に閉山になりました。鉱山跡地の一部は『マイントピア別子』という観光施設になり、坑道の一部が見学できるようになっています。
※一般公開されています。

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