School in Aomori

〜青森県の想ひ出の学び舎〜


青森市立 
高田小学校大谷分校
1947年9月8日に高田小学校大谷冬季分校として開校しました。『なぜこんなところに廃校が?』そんな感じで畑の中にポツンと校舎が建っています。しかも、廃校になったのが1974年なので、自然崩壊っぷりも相当なものでした。40年近く廃墟でありながら、雪国で建ち続けていられる木造校舎というのが凄いですよね。1977年頃の落書きが黒板に残っていました。
※解体されました。

平内町立 
狩場沢小学校助白井分校
1924年12月1日開校、2001年3月31日に閉校になりました。閉校後は地区の集会所として転用されていましたが、2015年に過疎化対策の一環として「移住・交流おためしハウス」に改装されました。
※転用されています。

弘前市立 高杉中学校
1949年2月23日に高杉新制中学校として開校しました。コの字型に配置された校舎で、写真左に古い木造2階建ての校舎、正面がトタン張りの2階建て木造校舎、左側は1階建ての特別室棟になっていました。また、グラウンド脇には1階建ての部室棟のような建物もありました。1969年自得中学校と統合し、北辰中学校が新設され、閉校になりました。
※解体されました。

青森市立 田代平小中学校
1950年5月1日浜舘小学校分校として開校、同年11月筒井中学校分校併設、1969年4月1日田代平小中学校として独立、1980年3月31日閉校。閉校後は「田代平少年の家」として転用され、教室は畳張りの宿泊室、校長室は天然温泉風呂に改装されていました。
※解体されました。

十和田市立 東湖児童館
元々、どこかの学校の分校だったような建物ですが、「東湖児童館」という看板が付いていました。延床面積302.67m2の木造平屋建ての建物です。解体費用は3097500円かかったようです。元々、敷地の端の方に消防倉庫のような施設がありましたが、跡地には大きな「十和田市宇樽部消防屯所」が建設されています。
2012年12月に解体されました。

黒石市立
大川原小学校沖揚平分校

1951年4月1日大川原小学校沖揚平分校として開校しました。1962年沖揚平集落に電灯が設置され、無電灯集落解消、1973年新校舎建築、1998年3月31日に休校になり、2007年3月31日に閉校になりました。その後、地域活性プロジェクトの一環として改修され、休憩・宿泊・交流ができる施設として転用されました。

※転用されています。

大鰐町立 大鰐第三小学校
1888年7月6日に大鰐尋常小学校早瀬野分教場として開校。1903年5月火災で焼失、1904年1月7日新校舎建設。
1947年4月1日大鰐小学校早瀬野分校と改称、後に、大鰐第三小学校として独立。
1995年3月31日大鰐小学校に統合され、閉校。開校からの卒業生のトータルは559人でした。校舎は「早瀬野診療所」と「生活学習体験館」として転用されています。
※転用されています。

野辺地町立 木明小学校
1954年に開校しました。1976年3月写真の新校舎を建設し、2004年3月31日有戸小学校と共に、若葉小学校に統合されて閉校になりました。現在は校舎は役場や地域の倉庫に転用され、グラウンドにアメダス野辺地観測所が設置(旧畜産試験場から移設)されています。アメダス移設前は野辺地は青森と降雪で県内1位争いをしていましたが、この小学校跡地は降雪が少なく、ランキング争いから外れたそうです。
※転用されています。

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