|
秋田県北部、鹿角市の山奥に存在する鉱山跡。 |
|
三菱マテリアル工業の所有する敷地内にその遺構は残っていた。 |
|
古代遺跡を彷彿させる見事な遺構である。 |
|
この第一鉱区は、現役の施設の奥にあるため、一般者は入ることはできない。 |
|
社員が監視しているので、許可なく立入るのはやめた方がいいでしょう。 |
|
坑道の入口は、水没している上に、柵がされていて入れない。 |
|
尾去沢金山は、和銅元年(708年)に発見されたと云われている。 |
|
坑道を掘削するドリルの先端が綺麗に並んでいる。 |
|
高速沈殿池の下には、様々な素材が置いてあった。 |
|
ここから産出された金は、奈良の大仏や、平泉の金色堂にも使われたといわれている。 |
|
下を流れる湧き水がおどろおどろしい色をしている。鉱毒か?。 |
|
いや、酸性の鉱水に溶出した鉄筋の酸化物のようだ。 |
|
コンクリートに絡む蔦が美しい。まさに廃墟の醍醐味であろう。 |
|
かつてこの地を治めた南部藩の記録では、慶長3年(1598年)に金山が発見されたという。 |
|
そして、やがて銅山として栄えたという。 |
|
この場所から、はるか上方に煙突が建っている。後で行って見よう。 |
|
高速沈殿池があった。この上澄み液が急速濾過池に送られるのだ。 |
|
高速沈殿池の周囲にある枕木。攪拌装置なのであろう。 |
|
高速沈殿池と地上をつなぐ橋はボロボロに朽ちていた。 |
|
何だか『軍艦島テイスト』な写真が撮れた。なかなかいいアングルだ。 |
|
鎖国が続いた江戸時代には幕府の御用銅として長崎に送られた。 |
|
長崎といえば、軍艦島。妙な所でリンクしている。 |
|
ここの銅は、西洋の品々と交換され、遠くヨーロッパまで運ばれた。 |
|
その後、三菱が経営するようになり、日本有数の銅鉱山に発展した。 |
|
しかし、昭和53年(1978年)5月、資源を概ね掘り尽くし、閉山した。 |
|
コンクリートが崩れ落ちているのは、恐らく雪の重みのせいであろう。 |
|
間近にそびえたつ煙突は、製錬所の跡であろう。 |
|
ここでは、黄鉄鉱・黄銅鉱・閃亜鉛鉱・自然銅・緑鉛鉱等が産出する。 |
|
更に煙突に近づいて見た。この鉱区はもっぱら製錬所であったようだ。 |
|
遺跡の階段を一段一段上りながら、古代遺跡を思い浮かべていた。 |
|
遺跡の上から、高速沈殿池の全景を眺めてみた。かなり大きい。 |
|
まるで、南方の島に残っているトーチカのようである。 |
|
ここは、第一鉱区の遥か上方にある精錬施設。 |
|
室内は、異常な湿気に見舞われていた。 |
|
何かを巻き上げるための機械のようだ。ゲージに使ったのだろうか。 |
|
壁から垂れ下がる鉄パイプの朽ち方がスゴイ。 |
|
部屋の隅に積まれている木箱はダイナマイトのケースだろうか。 |
|
このコントラストが素晴らしい。廃墟ならではの色を醸し出している。 |
|
まさにトーチカだ。壁に開いた窓はまるで機銃口のようだ。 |
|
この階段のダイナミックさが、この廃墟の大きさを物語っている。 |
|
ふと、見上げると、展望台のようになっていた。監視台なのだろうか? |
|
尾去沢鉱山は、低〜中温熱水鉱脈鉱床であり、銅鉱山として有名である。 |
|
お、これは坑道ではなかろうか。素掘りがイイ感じである。 |
|
坑道は下っており、T字に分かれている。異臭を放っていた。 |
|
上は、700kmといわれる坑道に繋がっているようだ。 |
|
下は、第一鉱区の作業場に繋がっている。 |
|
階段から真上を見上げると、その高さが実感できる。 |
|
天井のコンクリートは、酸性雨の影響で溶け始めている。 |
|
コンクリートが溶けてできた硫酸カルシウムのつららが鍾乳石のようである。 |
|
まるで、ジャングルの中の鍾乳洞の中にいるかのような光景だ。 |
|
この大穴は選鉱場の名残だろうか。 |