Hotel in Aichi

〜愛知県の廃ホテル・廃旅館・廃民宿・廃山荘〜


蒲郡ふきぬき観光ホテル
1939年に開業した超巨大ホテル。17階建てを含め、全部で6棟の建物があり、客室数132室(風呂付93室)、収容客数は750名。泉質は鉄泉で、水車風呂を売りにしていました。1998年6月に負債総額30億円で経営破綻して廃業になりました。その後、廃墟化し、一部が放火される始末。現在は、宗教法人に買い取られて、リニューアル・転用されています。
※リニューアル・転用されています。

三○園ホテル
1965年に開業した4階建と6階建のホテルで、客室数は48室(風呂付は11室)、無駄に豪華な造りになっており、バブリーな内装や調度品、円形の展望浴場が素晴らしく、太鼓ショーなどの名物もありました。2003年に廃業しました。夜逃げだったのか、ホテル内にも、隣接する社長宅にもあらゆる物品が残ったまま放棄されていました。2007年1月27日に、本館が不審火により焼失しました。
※管理されています。

観光旅館 王○楼
結婚式場とレストランを兼ねた巨大な観光旅館の廃墟です。1999年に自己破産により廃業になりました。その後、廃墟化し、カビの巣窟になりました。結婚式場の赤い絨毯は、適度に水分を含んだ土壌と化し、植物が繁茂していました。また、写真室の辺りは漏水が激しく、物凄いカビ臭を放っていました。
※管理されています。

ホテル福山荘
かつて形原温泉にあったホテルで客室数は19室ありました。温泉は単純硫化水素泉でした。2001年頃に廃業になりました。その後、売りに出されており、最低価格2090万円と、ホテルとしては格安な売値でした。すぐ隣には比較的真新しいオーナーの家が建っていましたが、残念ながら、ホテル共々解体されてしまいました。
※解体されました。

  ホテル 千○楼
1928年に開業した老舗旅館です。高級日本料理が売りで、結婚式場などにも利用され、2階には『玉○川』という立派な割烹レストランがありました。2003年11月に倒産しまいた。いくつもの祭壇部屋があったり、「一隅の光あれ」などという張り紙があったりしたので、宗教絡みのホテルだったのではないかと思われます。2011年頃から白骨死体のあるホテルとして噂になり、2012年に座ったままの白骨死体が1階で発見されました。
※管理されています。

ホテル 野○苑
1997年頃に廃業したホテルの廃墟。客室数29室(風呂付16室)で、宿泊料金は1万円〜2.5万円で、舟盛料理が売りでした。斜面に沿って建っているので、フロントのある道路側から見ると小さく見えますが、海側から見ると大きなホテルであることがわかります。下の階に行くほど、漏水などが激しく、とんでもない状態になっています。宗教法人『法の華』関係の本がいくつも置いてありました。
※管理されています。

旅館 千○別館
かなり昔に廃業した観光旅館の廃墟。廃業後、寮として転用されていました。元々、廊下で繋がっていた部分を切断して、男子寮と女子寮を分けていました。男子寮はエロスの館と化していました(笑)。メガドライブなど、懐かしいゲーム機が置いてあったので、寮として使われていたのも、かなり前であったようです。
※管理されています。

プチホテル ○ヶ根茶屋
かつて有料道路だった道路の途中にあったドライブインと土産屋とプチホテルを兼ねたお城を模した形の廃墟です。きつねうどんやたぬきうどんが700円、ココアが500円もするドライブインでした。人為的破壊が酷く、なかばサバゲ場と化していました。
※管理されています。

ペンション マ○ーナ
シーサイドパークI湖マ○ーナの中にあるペンションの廃墟。地元では『幽霊ペンション』などと言われているようですが、改装途中で放置された状態になっていました。本当かどうかわかりませんが、電撃有刺鉄線が施されているという看板がありました。
※管理人がいます。機械警備あり。

保養所 三○荘
『三谷通信』という会社の保養所の廃墟です。道路側から見ると2階建ての民家のように見えますが、奥に広がっていて、意外と大きな建物であったことがわかります。保養所としての役目を終えた後、奥の方の建物は、部屋が改装され、アパートとして再利用されていました。その後、廃墟化しました。敷地入口付近は、現在も駐車場として利用されています。
※管理されています。

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